DONのヨット暮らし

Mais ou sont les neiges d'antan?

屋久島宮之浦港

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2006.9.22(金)屋久島で初めての朝を迎える。公園や建物、巨大防波堤のため、視界が遮られ港からは山並も海の様子も見渡せず残念。夜中にさかんに雨が降る。やはり屋久島だからか。朝には上がっていた。昨日釣り上げた3種類の魚を煮魚と焼き魚にして朝食のおかずにする。食事をおわって7時半。

大型のシイラに切られた2本のヒコーキを釣具店で直してもらいに行く。いままで、何軒かの釣具店で直しを依頼したが売るだけで修理はダメだったが屋久島の釣具屋さんはokであった。疑似餌が売り切れなので自分で作ってくれる。

屋久島では屋久杉ばかり横行している。あまり上等では無い観光地といった感じである。外人が多い。自然遺産に登録した為であろう。

屋久島の歴史、2000年ぐらいのスパンで見た移り変わりを見たくて上屋久町歴史民族資料館に行ってみる。だれも来ない忘れられた施設といったたたずまいであったが、予想どおり屋久島の豊かな歴史をしることが出来た。直ぐ側にある図書室にも行く。町史を参照。
縄文時代:縄文前期の土器を初め、各種の縄文土器が出土されており展示されている。
弥生時代:やはり出土され展示されている。
600年代:屋久島人が大和朝廷より位をさずけれる等、大和と行き来がある。
700年代:吉備真備、鑑真が屋久島(益救島)に着いている。寄ったのか漂着は不明。
900年代:延喜式式内社として益救神社が記載されている。現在も今いる宮之浦の直ぐ側に鎮座。
江戸時代:楠川区の古文書が多数残る。
伊能忠敬屋久島の測量を行っている。伊能忠敬はここまで来て島を一周しているのだ。驚くほかない。
屋久島が海外貿易の基地であることを筆頭に太古より重要な位置を占めていたと思われる。

山本常一も詳しい屋久島記を書いている。

昼は近くで旅行案内に美味しいと出ていた店に行ってみるがまずくは無いと言った程度。
夕食は釣った魚をオリーブで炒め、ディチェコの極細スパゲティーを食べる。

自転車で少し通りところにある旅館の風呂に行く。500円。川沿いにあり快適、掘り出しものだった。