DONのヨット暮らし

Mais ou sont les neiges d'antan?

崎津漁港

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2007.7.11(水)
夜中中物凄い雨。
全国ニュースでも九州地方の豪雨を毎回トップで報じている。
今も相変わらず、大雨洪水警報、雷注意報が出ている。強い風は収まる。
朝、5時代の食事を作っている時は一旦雨が止む。その後また降りだし、今またチョット止んでいる。
食事を終わって7時半。

昼前から雨があがったので、行きたかった高浜の窯元に出かける。
なにしろバス便が少ないので慎重に時間配分を練る。
12時10分のバスで高浜に12時40分ぐらいに着く。
3件の窯元全てに回りたかったが1件が離れており2件のみとなる。
一番主要な天草高浜焼寿芳窯ではゆっくり見る。
白磁である。
当地の庄屋上田家が200年前に高浜焼きを始める。
薄手の白磁である。ご飯茶碗、中型の鉢、大きい鉢と3品購入。
今はこの窯元の社長でもある上田さんの江戸時代からの屋敷が今も残っている。
立派な屋敷である。見物できるので屋敷まわりと庭を散策。

1時47分のバスで崎津に戻る中間にある大江に寄る。
ここでは2時間弱あるので有名な大江天主堂に行ってみる。
崎津の天主堂とは違い、港から3~40分の山の上にある。
廻りには人家は無い。
フランス人のガルニエ神父が私財を投じて昭和8年に創った天主堂である。
ガルニエ神父はここで布教を続けここで死にこの地に埋葬された。
天主堂が建つ前、明治40年、与謝野鉄幹が学生である北原白秋、木下杢太郎、平野万里、吉井勇をつれて天草を旅している。
この旅の主要な目的の一つが地元民からパアテルさんと呼び慕われている神父を訪ねることであった。
与謝野鉄幹は紀行文「五足の靴」でこの天草の旅行について述べ、
吉井勇は歌を作り、北原白秋は詩集「邪宗門」を書いたと記載されている。

大江の港にも寄りたいと思っていたので港に行ってみる。
港は大きいが係留できそうな所は家並みとは遠く、寂しく見えた。
3時49分の最終バスで崎津に向かう。10分ほどで着く。

早めの夕食を終わったころ、岸壁から声がする。
キャビンから顔を出すと、この係留場所に船を置いていた船長のおかみさんが、
これよかったらと魚をわざわざ持って来てくれる。
みりん味とのこと。ありがたく頂戴する。うまそう。
いつも午前中作業して網を張った中で干している魚だ。

写真:
・高浜焼きを初め、今は寿芳窯を運営する上田家屋敷
・岡の上に立つ大江天主堂
・上田家屋敷の庭
・上田家屋敷説明
八幡宮境内
・鳥居額
八幡宮本殿