DONのヨット暮らし

Mais ou sont les neiges d'antan?

平戸港

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2007.8.8(水)
朝5時は真っ暗だ。6時を過ぎると強い朝日が照りつける。
食事を終わり、もろもろ片付けをして8時過ぎ、これから歩いて平戸観光に行ってきまーす。
暑そうだな。

平戸は素晴らしい文化都市であった。驚いた。南蛮文化だけが取り得では無い。

観光案内パンフの下に「おすすめ散策コース」がありそれに沿って歩く。
このコース設定が実にすばらしい。
炎天下を心配したがこのコースに沿って進むと廻りを木々の緑に囲まれ直接の日差しを受けない。
眼下に平戸港が見え隠れし日陰の石畳を歩む。
一つの目的地から次の目的地が皆5分から10分以内なのがまた良い。全く疲れない。

最も驚いたのは松浦(当地ではマツラと読む)資料博物館である。
松浦氏は代々平戸藩の城主である。この博物館は松浦氏が住んだところであり建物は明治になって建てられた立派な屋敷である。
収納品が実に素晴らしい。皆、松浦氏が収集所蔵していたものを建物ごと寄付したものである。

収蔵品はどれも貴重な質の高いもので、通常の地方博物館とはレベルがまるで違う。
これほどのものが展示されているとは想像していなかった。かつどれも保存状態が非常に良い。

松浦氏は凡庸な領主では無い。
先ず、南蛮貿易が長崎に移され、収入が激減したであろう。
通常であれば過去の栄光を記念とすることで終わっていただろう。
しかしそれに固執することなく新しい産業を起こすことを目指し成功している。立派だ。
また歴代当主が非常に文化人であった。学問にも力を入れ、高いレベルを持っていた。

藩主鎮信は茶道に置いて秀で、茶道鎮信流を起こす。今も続いている。
鎮信は江戸で山鹿素行の学問に接し、親交を重ねる。

藩主棟の時代に山鹿素行の縄により築城する。
藩主清山は学問、文化に置いて全国に聞こえた人物であった。

最後の藩主が建てた茶室閑雲亭にて抹茶をいただく。
茶菓子もなかなかのものであった。茶菓子「鳥羽玉」閑雲亭でのみ食べられる。江戸時代のレシピを再現したもの。

あと、聖フランシスコ・ザビエル記念協会や平戸城を散策。
最後に城跡に広い境内を持つ亀岡神社に参拝。

昼を少し過ぎたので、当地の代表的な店、磯しげにて昼食。

帰り道、ガソリンスタンドで軽油60Lを注文。
食材を仕入れる。
大きなスイカを買う。船に帰って海につけて冷やす。

夕方、外からスピーカーでECHO POINTさーんと呼ばれる。
船から顔を出すと、海上保安庁の大きな船が本船がポンツーンに着けますので移動願いますと言われる。
丁寧な応対。急いで離岸、岸壁につけようかと思ったがポンツーン反対側の半分が空いているので市の水産課に問合せる。
大丈夫のようなので反対側に着ける。海上保安庁艇の艦長に申し訳無いねと言われ恐縮。わりと年配の艦長であった。

移動のごたごたで食事作成の時間が少し遅くなる。
食事後、7時ごろ今日は、国際観光ホテル旗松亭の温泉に行ってみる。
遠くから見える平戸では一番高いところにある最上階の展望温泉に先ずはいり、
次に別棟のやはり最上階にある露天風呂にも入る。
ホテルとしては旗松亭の方が老舗のようだ。今は昨日の観月館の方がはやっているように見えた。
いつもどおり忙しい一日であった。

抹茶について来たお菓子が美味しかったので紀代子に送る。
この菓子屋はつたや総本店と言い、文亀二年(1502)創業で茶の湯に秀でた藩主との付き合いで今に続いている。
カスドース牛蒡餅が名物だ。家にはこの二つと閑雲亭で食べた菓子を贈る。
閑雲亭で食べた菓子「鳥羽玉」は地方発送はしないことになっていると、
上品な女主人らしき人に言われたがねばって送ってもらうことにする。

散策コース:
観光案内地図の下に記載されている。
港から3分オランダ商館跡3分平戸観光資料館7分崎方公園7分松浦史料博物館3分六角井戸7分、
聖フランシスコ・ザビエル記念協会3分寺院と教会風景5分オランダ橋1分英国商館記念碑10分、
平戸城3分亀岡公園10分最教寺霊宝館
素晴らしい散策コース真夏の炎天下でも木々の緑に囲まれ日陰で眼下に港を見下ろしながら石畳を進む。

写真:
・松浦資料博物館
・私が抹茶をいただいた茶室閑雲亭
聖フランシスコ・ザビエル記念教会
・教会内部。特に撮影禁止とは掲示されたいなかったので撮影
・対岸から見る平戸城と平戸の港
亀岡神社参道
亀岡神社拝殿
亀岡神社
天満神社
・額
・祠鳥居
・祠