DONのヨット暮らし

Mais ou sont les neiges d'antan?

蒲刈海の駅→ゆたか海の駅(御手洗港)→大三島宮之浦港

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2007.9.28(金)
大三島宮之浦港に到着。片付けを終わって3時半。

確かに、瀬戸内海の海況は他とは違う。波50センチというのは他の地域に予報では先ず無いが瀬戸内海では毎日である。ところがこの50センチがくせもので確かに高さは50センチかもしれないが潮の影響で激しいローリングが続く。艇が左右に流される。瀬戸内海は川のようなものだたと当地生まれの人に聞いたことがあるが、川のようというより川そのものであった。波しぶきを上げる水面を走るのは多摩川を走る感じであった。

今日は御手洗漁港の少し先にあるゆたか海の道のポンツーンを目指す。11マイルと近い。御手洗瀬戸の潮止まりは来島海峡の45分後と瀬戸内海水路誌にある。来島海峡の潮止まりが12時18分、従って御手洗瀬戸は13時3分となる。潮止まりまでは逆潮を進む。逆潮でも潮止まり前は弱くなっているだろうと10時40分に出港する。近くにいた地元の人がこんな風でも出るのかといって、舫いを外し投げてくれる。また来てよー!と声をかけてくれのがうれしい。
昨日も出港前もものすごいゆれ。大潮のせいもあると思うが、7m程度の風なのにうねりがあり少し沖は白波がたっている。台風時のようなゆれであったが、出港時の10時半が調度満潮でやや揺れがおさまる。このポンツーンは強風時には危険と思われる。風向きのかげんでこの浜近辺だけの白波だろうと予想したとおり、外に出ると少し穏やかになる。
ただし、御手洗瀬戸に入るまでずっと潮の影響によるローリングが激しい。右手から波が来るが左てに島と島の間の海峡が有りその前を通過するときはさらにローリングが激しくなる。

御手洗瀬戸に入ると静かになる。左手に瓦屋根の家並みが見える。御手洗港には古い家並みがあり風情に富んだところと聞いており寄ってみたかった。少し先に今日の目的地、ゆたか海の道がある。あたり一面水深が浅く水路も狭いので慎重に船を進める。場所が解らない。大きなフェリーが留まっており、その裏側とわかる。フェリーの頭すれすれに少しずつ非常に狭い港内に入る。ポンツーンが漁船や小さな遊漁船でいっぱいのため留められない。グルット廻るのが精一杯の港内を反転して外へ出て道の駅に電話をする。若い男性が岸壁まで来ていっぱいで留められないという。あれこれ交渉があったが結論として留められない。漁港に引返しとめることは可能であると思うが、若いいかにも公務員風の担当者と話している内に2日はいたいと思っていた御手洗への関心がすっかり消えてしまった。

そこで今までの航海では無かったことであるが、急遽次ぎの寄港予定地、大三島宮之浦港を目指すことにする。遅い出港であったが次ぎの寄港地、大三島は9マイルほど先と近い。ただし、水路は狭く、潮の強い明石瀬戸を抜けることになる。さいわいサッキ避けたフェリーが小さな島と島の間の狭い水路を進んでいるのでそのあとを全速力で着いていって一番難関の狭い海峡を抜ける。潮についてはいつもは慎重すぎるほど検討して通過するのだが、今回は逆潮でも何しろ通過するしかないと潮流表も見ずに明石瀬戸を大三島へと進める。この航路が正に多摩川の上を走っているような状況であった。
潮の流れと風が反対の為もあってと思うが川の水面のように水しぶきが上がって流れているように見える。
大三島宮浦港に入るまでこの状況が続く。
宮浦港の入口も左右が浅く非常に狭い。事前に良く航路を検討しwaypoitを設定していたので問題なく入れた。進路に沿って緑のブイが2つ設置してある。
ヨットを留めて良い赤く塗った第二桟橋に係留する。

すぐ、町を一回りし、トイレ、大型スーパー、風呂を確認する。
途中にある高校の看板を見たら愛媛県立とある。ここは広島では無く愛媛県であった。

夕方、伯方の塩が経営する大型温浴施設に入る。きれいで良いのだが、出たあと冷房がきつくて不愉快。A-COOPで食品を仕入れ、帰って簡単に肉を料理し夕飯とする。7時前に船に戻ったが真っ暗であった。夕日が沈むのが風呂からみえたが日が暮れると突然暗くなる。

写真:
・通過した御手洗の瓦屋根の家並み
・緑1番ブイ
大三島宮之浦港の第二桟橋にもやうECHO POIT