DONのヨット暮らし

Mais ou sont les neiges d'antan?

牛窓散策。朝鮮通信使が寄った港に移動。

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2007.10.11(木)
牛窓は素晴らしいところです。ヨットでの航海の泊地として是非お薦めです。
車や電車では通過地点ではなく行き止まりでわざわざ行って帰るとこで結構行き難いようです。

午前中に牛窓ヨットハーバーを出て、歩いて牛窓の街まで行く。思ったよりは近く30分程度だ。

牛窓ではゆったりとした時間が流れる。澄んだ心になる。土地の持つ力だ。
観光案内所、エーゲ館うしまどで昔の面影を残す街の方に食事ができるところはありますかと聞くと、
店はこの廻りにしか無いというので、教えてくれた店で昼食と取る。
そのあとしおまち唐琴通りとよばれる昔の道をあるく。

牛窓は江戸時代、朝鮮通信史が必ず入港し、宿を取った正式の寄港地である。
また海運が盛んな海運業の町であった。

明治、大正、昭和初めと瀬戸内一と言われた造船の町でもあった。それらは木造船の造船である。
他の町では古い街並みや家屋が崩れ、そのとなりに工場生産の新築家屋が建っていたりするのが普通である。
牛窓では何故か昔の面影が残っている。観光用では無く、生活として残されている。

かっての繁栄を示す、長屋門、江戸時代から続く大材木問屋、若葉屋の屋敷、などが町並みにとけこんでいる。
海沿いの道と一本中の道を散策して、かっての造船の町に近づくと大きく草木造船と書かれた工場が見えて来た。
造船ヤードに入ってみる。たまたまいあわせた草木造船の草木真太郎会長?がどうぞ中へと案内してくれ、
いろいろ昔の牛窓の話、瀬戸内海の話、造船の話を伺う。
江戸時代に朝鮮通信史や多くの船がやって来たのはこの草木造船のある港ですかと聞いてみると、
それは今、フェリーがつくあたりであった。本蓮寺の下にあたる。
この話を聞き、俄然船をこのフェリーのとなりのポンツーンに移動したくなる。
草木会長が1日や2日程度ならポンツーンにつけても大丈夫だとのこと。
その上、一日二日なら内のポンツーンに留めても良いよと言ってくれる。
話はつきなかったが、まだ、牛窓のもう一つの文化拠点、牛窓神社に行ってないので、お礼を言ってお暇する。

牛窓神社参拝。すがすがしい。景勝の岡に立つ古社。

急いでエーゲ館うしまどの前のバス停で時間を調べていると西郷さんと声がかかる。
昨日お会いした小坂さんだ。どうぞ車に乗ってください。どこでも行きますよと言ってくれる。
お言葉に甘え、スーパーによって食品を仕入れ、ハーバーまで送ってもらう。
ハーバーへ戻ってからは取るものもとりあえず、直ぐ船を出し、フェリー到着所のとなりのポンツーンまで移動する。
江戸時代からの天然の良港で昔の町の面影の中に係留できた。

まだ明るかったので、牛窓のもう一つのハイライト、朝鮮通信史を接待した古寺、本蓮寺に参る。
ヨットを着けたポンツーンからは10分かかるかかからないかで行ける。
3重の塔があり、室町時代建立の本堂や中門等、国の重要文化財となっている。
帰りはゆっくり夕方の牛窓の港をみながら石段を降り、船に戻る。

夕食はシーフードグルメ館UOUOという店で朝獲れの魚料理にする。安くて美味い。

写真:
牛窓旧港のポンツーンに舫うECHO POINT
・美しい海岸
・かっての繁栄
・かっての繁栄
牛窓神社参道
牛窓神社参道
・拝殿
・本殿
・鳥居に天保2年の表示
・説明板
・本蓮寺