DONのヨット暮らし

Mais ou sont les neiges d'antan?

浜田港に移動

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2009.6.12(金)
やはり北前船でかって栄えた浜田港に移動。ここは鳥取県です。
6時半離岸。11時15分浜田港着岸。食事を終わって片付け中、12時40分。
早く出港するため食事は前日に作った。
5時の天気予報によると強風注意報が解除にならない。
天気予報欄を見ると波2.5m。
普通だと私は出港しない。しかし朝の海、風とも静かだ。それに天気予報では風5m以内となったいる。
強風注意報が3日間続いているのに何故、5mまでの風予報なのか。次の寄港地は比較的近い浜田港に設定しているので出港に決定。
風は天気予報に近い、波は2.5mは無かった。
浜田港に入る直前が最も波が悪かった。船を相当波に持って行かれる。
岸壁の船を着ける場所を指示してくれた人に今日は波が高かったでしょうと言われる。
返しで沖より湾に入る時の方が波が高くなると言っていた。
今日の状況であの波とすれば荒れた南西だと船を湾内に入れられ無いのでは無いか。

オイル交換。
4時ごろ町の散策に出かける。夢タウンという大きなショッピングタウンがある。
これ幸いといろいろ物色し買い入れ店を出ると怪しげな空。と見るうち雨が降り出す。船に毛布と寝袋が干してある。おつぽつ来ていたのがザット降り始める。
あーこれで寝具はビショ濡れ。

濱田港とは懐かしき名なり、予が小学校時代と獨学時代との記憶はすべて濱田にあり、粟島下の水泳に危なく溺れ死せんとせし少年の思い出は、あはれ三十年の昔かな、一丁田の丘に狐の火を見ながら、片側町の夕暮れに寂しくたたずみし日の事も、夢のごとく我が胸に残れリ、
山陰の最低辺たる石見国は、土痩せて、人の心もまた石の如く堅きが多けれど、古は歌聖人麻呂と画聖雪舟とに万代不滅の足跡を遺させたり陰陽山脈の険しき陰には、近世文明の波に洗われざる上古素朴の風尚残り、北海の岸には至るところ天従の奇景を有す、大正三年の今日、鉄道未だこの国に入らざれども、何人かあって、この国を天下に推薦するものあらば、日本に一名区を加ふると共に、予等郷当の喜びいかばかりぞや、
濱田港は石見の首都として山陰道の最低辺に点せられたる眼目なり、この町の前途に必ず繁栄あるべし、光輝あるべし、
大正三年五月
島村抱月

写真:
・浜田港、石の鳥居の前に舫うECHO POINT
・係留した船の眼前10Mほどの小山に鎮座する、式内社 石見國那賀郡 大歳神社。
 浜田に上陸して即山を登って発見。参拝。
・泊地の目の前に辨天
・額