DONのヨット暮らし

Mais ou sont les neiges d'antan?

九条家本延喜式祝詞、真福寺本古事記

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

2013.5.8(水)
番外編
九条家本、延喜式祝詞
欲しかった九条家本、延喜式祝詞の複製本をようやっと手に入れた。
オリジナルの巻子本を写真撮影して大正15年に発行されたものだ。
本物は国宝で、今は国会図書館の所有となっている。
国会図書館のサイト「e国宝」で詳細を見ることが出来るようになった)
http://www.emuseum.jp/detail/100162?word=&d_lang=ja&s_lang=&class=&title=&c_e=??ion=&era=&cptype=&owner=&pos=1&num=1&mode=

書物と言うと、最近はデジタル本が盛んになりつつあるが、
印刷された活字本で私などは育った。
少しさかのぼり、江戸時代には木に文字を彫り付けて、
紙に刷った版本と呼ばれる和本を読んでいた。
それより以前は皆、手で書かれた文字を臨書して、書物を作っていた。
写本と呼ばれる。
この様な書物の時代の歴史は版本や印刷本の時代より遥かに長い。

神道には経典は無い。
皆さんが厄年の厄除けに神社に行くと神官が唱える祓い言葉は
大祓いと呼ばれる。
筆で書写された最も古い大祓いがこの九条家本、延喜式の巻第八の中にある。
六月晦日大祓い、がそれである。
九条家本、延喜式祝詞は諸々の祝詞研究における底本となっている。
六月晦日大祓以外に二十六編、計二十七の祝詞が巻第八に記載されている。

延喜式祝詞が記載されているのは、この九条家延喜式以外に
国学院大学が所蔵する卜部平野三位兼永自筆本延喜式
同じく国学院大学所蔵の卜部兼右自筆本延喜式が書写された時代が古くかつ、
神官の家系から出た貴重な写本として著名である。
岩波古典文学大系古事記祝詞の中では兼永自筆本を祝詞の底本としている。
その他、写本として知られた延喜式は三条家本、一条家本、三条西家本、金剛寺本、中院本、
などがあるが、祝詞の記載が残っているものは先の九条家本、兼永自筆本、兼右自筆本の
三本のみである。


真福寺本、古事記
現在では古事記と言うと非常に重要な本とされ、内容はとにかく、
名前を知らない日本人はいないと言って良いだろう。
記紀古事記日本書紀を並べて言う場合も古事記の方を先に言う。
しかし古事記が日本人に知られる様になったのは江戸時代、本居宣長古事記伝
書かれて以後と非常に新しい現象なのだ。
写本として現在に残る最古の古事記真福寺本と呼ばれる、
名古屋、真福寺にある応安4年5年の古写本です。
南北朝の中頃のもので、国宝。
古い事は古いですが、古事記が出来てから600年もたっています。
その間に書写された古事記はひとつも発見されていません。

私の敬愛する前人未踏、匹敵する追従者も皆無という古書に関する巨人、反町茂雄氏の
言によれば、真福寺本以降、江戸時代、寛永年間までで知られている写本は5つあるのみです。
伊勢本、伊勢一本、猪熊本、前田本、内閣文庫本。
書写本時代を経て、寛永21年に初めて版木による印刷が出ます。
この5つの写本以外に、天理図書館に6部の貴重な写本があります。
真福寺本は神官では無く僧侶によって書写されたものですが、天理の古事記
神祇総官領家、子爵卜部吉田家に伝わった写本類です。
以上、西暦712年(養老5年)に古事記が出来て以来、その内容を伝える写本は12部に過ぎないわけです。

それを日本文化根本書籍として世に登場させた本居宣長の行いは驚くべきことと言えます。

写真:
・京都官幣大社稲荷神社、大正15年発行、影印九条系本延喜式祝詞
・昭和53年初版、60年重版桜楓社発行。影印国宝真福寺古事記