DONのヨット暮らし

Mais ou sont les neiges d'antan?

隠岐島後のあちこち

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2014.7.15(火)
朝日は雲に隠れているが、上空に青空が見えるので、晴れそうだ。
暑くなるな。

加茂へ:
12:10のバスで、西郷港の少し西にある加茂に向かう。
かっては、西郷では無くこの加茂が島後の表玄関だったと言う情報もある。
背後の山、海とも実に美しい。木々や植物が西郷と違って感じる。
気持が良い。
家々も茶色の瓦屋根で比較的大きく、豊かに見える。
漁師街では無い。かっての通商で栄えたのではないかと思わせる。
ただ、現在は人の気配が全く無い。
商店は酒屋を兼ねた店、一軒のみであった。

この地にある式内社、加茂那備神社に参拝。
手水が石で出来た奇妙な形をしている。

バス停の前のすぐそばに小さな島がある。
高地の植物がそのまま残る特異な植物形成をしている島との説明がある。
そばまで行ってみたくなる。

玉若酢命神社:
バス便に合わせ加茂に1時間ほど居た後、式内社、玉若酢命神社に向かう。
隠岐国の総社。
本殿は、隠岐にある神社の最古のもので、造営は寛政5年(1793年)。
神門と本殿は国の重要文化財
立派な神社です。背後の山には古墳群がある。古代からの霊地であろう。
本殿横に池があり、そこから周囲に鳴り響くげー、げーという牛の様な声が聞こえる。
多分、カエルの一種なのだろう。

神門横には樹齢千年以上の八百杉がある。これは国の天然記念物。
老いることを知らない比丘尼(びくに)がやってきて、総社に参詣し、
後々の形見にと杉の苗を植えた。そして「800年たったらまたここに来よう」
といったところから、八百比丘尼杉と呼ばれたとか、
大蛇が住んでいたとかいろいろな言い伝えがあるようだ。
御朱印拝受

となりに玉若酢命神社宮司隠岐の名家、億岐家の住宅(重文)と宝物殿がある。
隠岐国駅鈴と隠岐倉印、奈良時代のもので重文。光格天皇御下賜の唐櫃、これも重文。

和気能須命神社:
行く人はめったに居ないと思う。
玉若酢命神社と億岐家の住宅の間の道を20~30分登ったところにある。
式内社。訪れる人が稀と見えた。
最初道を間違え、地元の人らしき人に聞いたが知らなかった。
全く山の中。脇に山からの細い川が流れている。良く存続してきたな。
背後の山が神域なのであろう。

帰りはズット歩いて海沿いに西郷港へ向かう。
赤い、西郷大橋のそばまで辿りつく。
西郷大橋は港の方にも道があるだろうと思っていたが、
断崖絶壁であった。小山を一めぐりしないと海岸にはいけない。
西郷大橋は人は渡れないと解る。端を歩けば不可能では無いが、
歩道スペースは無く、危なくてとても渡れないと解る。
とすると、ネット上に紹介されている元国民宿舎下の泊地というのは、
陸路では、西郷の街には行けないというわけだ。着けなくて良かった。

最後は港の近く式内社、水祖神社へ。
海に面した小山を背に海に向かって建っている。
背後の小山が神域。
港からは一番近い、式内社。お参りしましょう。

隠岐西郷港では住宅が海に面して殆ど高さを持たず建っている。
波が静かということだ。大波がかぶるということが無いのかなー。

今日もかなり歩いた。

写真:
・加茂の海
・加茂の小島
・加茂那備神社の手水
・玉若酢命神社の八百杉
・億岐家住宅
・西郷大橋
・水辺に立つ住宅