DONのヨット暮らし

Mais ou sont les neiges d'antan?

利休、晶子、仁徳陵を求めて堺を巡る

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2016.7.14(木)
堺。堺と言えば千利休。また与謝野晶子。歴史で習った仁徳天皇陵
堺の街を経巡ってきました。
マリーナから泉大津に出て、泉大津から南海線で堺まで。
堺駅を降り、地図を見ながら向こうから来た人に地図に出ている利休屋敷跡と
晶子生家跡の場所を尋ねる。
詳しい人で、最近、利休と晶子に関する大きな施設が大通りの反対側に出来た。
その施設の直ぐそばにあると教えてくれる。

「さかい利晶の杜」さかい、りしょうのもりと読む。
規模も大きく、内容も深く多彩。建築もなかなか良い。昨年出来たばかりらしい。
映像作品も作られ、京都にある国宝、利休の茶室、待庵の創建当時の茶室を復元している。
与謝野晶子の実家の復元もある。両方見て300円。茶室は外から見るだけ。
係りの人に堺というと千利休、戦国時代としか結びつかない。
江戸時代はどんな状況、何藩が治めていたんですかと質問。
その人は丁度その面の説明者らしく、我々が立っている床に描かれた地図を示しながら説明してくれる。
江戸時代は徳川家直轄地。
商人のみの地で奉行所があったので、武士はそこにしかいなかったそうだ。

「さかい利晶の杜」を出た前が利休屋敷跡。
 利休が産湯を使ったという井戸がある。
 利休の屋敷にしては狭すぎる。説明員に聞いてみると今、残っているのがこの土地ということらしい。
 ここは、堺市の持ち物ではなく、表千家のものだそうだ。
 同じ通りの大通りを渡ってすぐ、与謝野晶子生家跡。ここは単に碑とモニュメントがあるのみ。

次に開口神社(あぐちじんじゃ)参拝。
堺の旧市街、つまり江戸時代前からの堺の町で唯一つの式内社
昼になり地元の中華屋で酢豚定食。

食後、昔の堺の街の面影を残す地域へ。
午前中、江戸時代を説明してくれた人が、堺の街は戦災を受け、街はすっかり焼けて、古いものは無い。
ただし、北の方に焼けなかった地域がある。と教えてくれたので、場所はよく解らないが、
路面電車を適当な所でおり、散策。
確かに古い建物があるのだが、町並みは形成しておらず、点在。
30分ほどその地域を歩く。

ハイライトとも言える仁徳天皇陵を目指す。
解説に市庁舎の21階展望台からよく見渡せると出ている。
市庁舎まで歩く。炎天下で結構きつい。30分ぐらい歩いたかな。
21階の展望台も期待はずれ。
これでもただ森にしか見えない。よく出ている前方後円墳の形も堀も見えない。
ホテルから明治神宮を見る様な景色だ。なにしろ大きい。
教科書で見る様な形状を確認するには飛行機かヘリコプターで上空から見ないと無理と知る。
市庁舎を出て又、街の人に仁徳陵への行き方を聞く。
説明してくれ、今日は暑いので電車で一駅乗れば時間の節約にもなると教えてくれる。
えー、それはgood!
なんと目の前に駅、一駅乗って30分ほど節約。駅を降りれば、仁徳天皇陵の脇。
周りは塀に囲まれ堀になっている。
周囲を石畳の路がぐるーと取り巻いている。歩いていて気持ちが良い。
堀に見たことが無いような鳥が居る。

前方後円墳と言うように、方形つまり直線部分が前、丸の方が後ろ。
丸の方から歩き始め途中で直角に曲がると直線部分の中央まで行き着く。
そこは路が作られ、鳥居が設置してある。
この場所には説明員が居る。
堀には作られた水路から水が引かれているそうだ。かっては水路をつくり、今はポンプも併用しているとのこと。

駅まで引き返す。
三国ヶ岡駅。ここにはナント、成城石井があるではないか。
というのはウソ。事前に調べてあった。
大阪に来たんだからもしかしたら成城石井があるんじゃないかとインターネットでみると、
何箇所もあり、三国ヶ岡駅が一番近い。
成城は私の家から近く、散歩に良く行く。なによりここでナチュラルチーズを購入するんです。
ナチュラルチーズに関しては明治屋より表参道の紀伊国屋より安い。
私は何よりナチュラルチーズ好き。石井で毎週買っている。
そこで少し禁断症状が出て来たので、電話で在庫を確認しておいた。
決して、ナチュラルチーズのついでに、仁徳陵によったのではありません。
オランダのゴーダとスイスのエメンタールデンマークのブルーチーズを購入。

これで、帰途に。
途中の泉府中のイオンで米とお茶を購入。
艇に6時少し前に到着。

写真:
・「さかい利晶の杜」
・利休屋敷跡
・晶子生家跡
・鉄砲鍛冶屋。江戸時代の建築物
・仁徳陵を市庁舎21階展望台から見る
・仁徳陵正面
・堀。三重になっている。
・陵まわりの路
・堀の鳥