DONのヨット暮らし

Mais ou sont les neiges d'antan?

土佐日記に導かれ、千年前の撫養、対岸の土佐泊へ

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2019.6.30(日)
夜は雨無し、今も雨は未だ降ってこない。曇天。
予報では「雨時々曇り所により朝から昼前雷を伴い激しく降る波2.5m後1.5m」注意報は無し。
強風では無いので、朝起きてすぐテントを張る。
朝食準備中7時。

皆さん、土佐日記って知ってますよね。
土佐日記の中で、船が撫養に寄ったと書かれていると何処かで、読んだ記憶がある。
撫養の何処に着けたのだろう。

午前中、コインランドリーに行き、直ぐ近くにある私立図書館に寄り調べる。
郷土歴史コーナーで鳴門市100年など大きな写真集を見たりする。
土佐日記の航海に関する物などない。司書に訪ねる。
親切に検索してくれ、開架では無く収蔵資料の中から見つけて持ってきてくれる。

解りました。
紀貫之土佐日記の中で書いている港は、「土佐泊」。
今、ヨットを着けている岸壁からは、小鳴門水道を隔てた対岸と解りました。
港湾案内にも「土佐泊漁港」と記載されています。

土佐日記の原文:
おもしろき所に船を寄せて「こゝやいづこ」と問ひければ、「土佐のとまり」とぞいひける。
昔土佐といひける所に住みける女、この船にまじれりけり。そがいひけらく、
「昔しばしありし所の名たぐひにぞあなる。あはれ」といひてよめる歌、
「年ごろをすみし所の名にしおへばきよる浪をもあはれとぞ見る」。

艇に戻ろうと図書館の玄関まで来ると激しい雨が降っている。
小降りになるまで待ち、傘を差して出る。
昼食を取る。雨は止んだ様だ。しかし何時猛烈な雨に鳴るかもしれず、傘持参。
大きな橋の袂のらせん階段を登り、川を横断。向こう岸の階段を降りる。
ここは岡崎と言う。
昔、船でこの地にお参りに来たお遍路さんはこの岡崎で船を降りた。

対岸には30分おきに渡船がある。
少し待って、乗船3分で向こう岸に着く。

ここが、「土佐泊」か。
海岸沿いを一巡。
人が皆無。能くある観光案内地図その他、島の情報を記すものは無い。
店も無い。
由緒ありそうな家どころか、古い家さえない。比較的新しい家が立ち並んでいる。
日曜なのに人は外に全く出ていない。

先ず「土佐泊」を確認するため、「土佐泊漁港」に入ってみる。
入口は小さく、港の規模も小さい。
おそらく、1000年前、紀貫之が寄った当時と、港を取り囲む防波堤以外は全く同じと思われる。
漁船は小さく、あまり出魚してない様に見えた。
ヨットで「土佐泊漁港」に入るのは無理と思う。小さな漁船で埋まっている。

この地の観光としては、土佐日記の「土佐泊」に出ている
「昔土佐といひける所に住みける女」の歌、
「年ごろをすみし所の名にしおへばきよる浪をもあはれとぞ見る」
の歌の歌碑だ。
おかしいのは土佐日記の中で、この歌は「昔土佐といひける所に住みける女」の歌にも
かかわらず、紀貫之の歌と観光案内には出ている。
土佐日記の作者は紀貫之なので、間違いではないが、
ストーリーとしては、あくまでも「昔土佐といひける所に住みける女」の歌だ。
観光案内を書いた人は何も知らず、本文も読まず、紀貫之の歌と書いているのであろう。

所で、船に土佐日記は持ってきてないが、
皆さん、土佐日記は源氏より少し古い1000年前の書ですが、
源氏と違い、時々、チョット注に目をやるぐらいで、現代人にも読める書です。
面白いからヨットマンの方は読んでみて下さい。

私は13年前、、田辺から四国の日和佐に渡り、甲浦、室津奈半利、土佐と移動しました。
これ等の港は、丁度、土佐日記が辿った港と進行方向は逆ですが全く重なるのです。
それを知った時の感動は忘れられません。

歌碑:
歌碑はいったい何処にあるのだ。
誰かいたら聞こうとズット歩いているのに誰にも会いません。
向こうから車が来ました。手を揚げて訪ねると、直ぐ教えて貰えました。
少し引返し、港の前の道を行き、坂を上って行くと、歌碑がある潮明寺を発見。
この寺は大きく、境内は広く、清潔で立派でした。
寺だけでなく、高台のせいか、寺近辺の家々は広く、住宅地の感があった。

歌碑は昭和のものと、江戸時代のものと二つ並んで見ることが出来ました。

小宰相(こさいしょう)の墓:
もう一つの、この地の観光対象。
鳴門市の観光案内に
「平家の大将平通盛の恋女房小宰相局は、一族とともに屋島へ落ちていく道すがら、
 愛する夫が源氏のため一の谷において討ち死にしたと聞き、
 恋しさに耐えかねて海に身を投げ、あたら19の春を散らしたといわれています」とある。
ここも通りすがりに家の中で何か作業をしている人を見つけ、場所を聞きました。
急な階段を登り、小鳴門の水路を見下ろす高台にあります。

港の前の道の突き当りに「新羅神社」発見。参拝。

17時半の渡船で岡崎に戻り、橋を渡って、艇に戻る。

幸い、雨に降らずに「土佐泊」を楽しめた。


写真:
・対岸の土佐泊へ行く無料の渡し船
・今の土佐泊港。海ぎわに防波堤が出来ただけで、千年前と全く同じでは

・土佐泊に寄港した際に、読まれた和歌の記念碑 昭和のもの
・同じく、享和年間(1801~)に建てられたもの
・碑のある潮明寺

・小宰相(こさいしょう)の墓指標
・墓
・鳴門市の説明板
謡曲史跡保存会の説明板