DONのヨット暮らし

Mais ou sont les neiges d'antan?

水戸の街を訪ねる

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2009.10.16(金)
波もうねりも無い静かな那珂湊尾港で朝を迎える。
天気は一日晴れ。
温度が低いが今日は少し寒いなという普通の感じだ。
これが東北では温度は同じ低さでも何か寒さの質が違う。

きのう仕入れたヒラメを料理中。6時。

海図を見ていると那珂湊のすぐそばに水戸がある。
那珂湊から水戸に行けるかもしれない。
私は水戸に行ったことがない。
水戸へ出張で行くというのも先ず無い。
出張のついでで行くのも先ず無理だ。
しかし大日本史を編纂し、藤田東湖がいた水戸に一度は行ってみたいものだと考えていた。
そこで今日は水戸の街を散策に出かけました。

那珂湊には私電の湊線があり、那珂湊駅から4つ目でJRに乗り換え、一つ乗って水戸駅
乗り換えを入れても20分ほどだ。近い。
先ずはいつもの様に観光案内所で必要と思われる資料を全てもらい、案内の人に質問する。
そのあと、神戸屋でコーヒーを飲みながら、ゆっくり資料に全部目を通し、行動を決定する。

先ずは、水戸城跡にある水戸藩の学問所、弘道館へ。
水戸城は明治の廃城で取り壊し、水戸藩内の内部抗争戦などによる焼失、第二次大戦戦火等で何も残っていない。
弘道館はからくも残った。
すがすがしい、学問所だ。
ただ、私は弘道館を建て、水戸偕楽園を作った藩主徳川斉昭は江戸初期ないし中期の人と思っていた。
しかし、幕末では無いが徳川後期の人なのだ。
斉昭の7子が徳川慶喜、最後の将軍なのだ。知らなかった。
慶喜が朝廷に江戸城を明け渡し、謹慎したのも水戸の弘道館であった。
弘道館を庭から眺め、建物の中を巡りながらここに藤田東湖が座っていたのかと思いを馳せること多々であった。
入り口に拓本その他を売る小さな店がある。笠間焼の焼き物を一つ記念に購入。

散歩しながら旧城内から駅まで戻る。聞いていたねばり丼とういのを昼食で食べたみる。
チェーン店なのでそれなりのものであった。

食後は勿論、有名な偕楽園へ。
これは予想とはかなり違っていた。
偕楽園は梅で有名だが、金沢の兼六園、岡山の後楽園とともに、日本三公園として名高い。
偕楽園を初めてに見るに当たって、既にみている兼六園、後楽園と同じような庭園と思っていたが、
全く違う。池も月山も無い。むしろ今の公園の思想に近い。
自然の山と池を見て楽しむ構造だ。誰が兼六園、後楽園と並べて日本三公園と言ったのか。
解せない話と思う。
復元建築物だが、斉昭公が指揮して作らせ自分や家臣とともに景色を愛でた、3階建ての建物にも入ってみる。

次は水戸の代表的な神社、水戸八幡宮へ。
ここは国の重要文化財御朱印拝受。

水戸の街は駅前が盛り場では無く一番賑やかなのは駅から2キロほど離れたところにある。
デパート、銀行等もそこにある。
初め、駅前に銀行が丸で無いのでどういうことだろうと思ったが賑やかなところは駅から離れたいたのだ。

4時前に船に戻る。
お魚市場で魚を仕入れ、おかずにする。
これから食事。

写真:
弘道館。正面お広間から藩主が武術の試験を賢覧した。
明治11年徳川慶喜勝海舟に送った書。
水戸偕楽園の正門
水戸偕楽園内の好文亭
・水戸八幡神社 参道。国の重要文化財。解体し、創建当時に塗り直している。
・拝殿
・本殿