DONのヨット暮らし

Mais ou sont les neiges d'antan?

座間味3

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2006.11.16(木)波浪注意報解除。波2m後1.5mの予報。波浪注意報が朝5時予報の直前まで出ていたのであぶないかなと思いながら船を出す。慶良間の細い水路を縮尺35000分の1の海図にプロットしたwaypointに従って進む。慶良間を抜け、地平線を見るとかなりデコボコになっている。波があるのだ。だんだんうねりが出てくる。あのデコボコはうねりなんだと思いながらセールをあげようとするといつのまにかかなりの波に囲まれる。これは未だ、波浪が治まっていない。引返すことに決める。8時に出港して9時半ごろ座間味に戻る。座間味港に入るととたんに海面は静かになる。やはり天然の良港なのだ。

阿嘉(アカ)島と慶留間(ゲルマ)島:
11時45分発の村の船で、港の下見も兼ねて、対岸にある阿嘉(アカ)島に行ってみる。15分で着く。人口330人で、民宿が何軒もあるがダイバーの為である。座間味もそうであるが若者、それもダイバーが主たる観光客である。ある程度の年配でお金の余裕もあるといった人には出会わない。そのような人の為のホテルや店、飲食店も無い。観光面での今後の発展を考えると一考を要する状況である。これほどの美しい自然を持ち且つ古い歴史を経てきた土地なのにその財産の生かし方は今ひとつである。優れた指導者、先達が必要であろう。

先ず、昼食。浜に面したレストランでソーキそばの大盛り。ちゃんとした味。来歴を聞いてみたいようなしゃれた風情のある主人がやっている。客はいっぱい入っている。若い人。ダイバーだろう。食事ができるのはこの1件だけ。
30分で阿嘉の町を一周。歴史的なものとして主たる拝所と思われる御嶽と幼小中校の前にある拝所、村の神事が行われる。樹齢300年以上のアカテツの神木がある。

次に巨大な阿嘉大橋を歩いて慶留間(ゲルマ)島(人口92人)に渡る。ちなみに座間味は人口660人
沖縄戦時、アメリカ軍は伊江島から2000人の住人を慶留間島へ強制疎開させる。伊江島の人が建てた記念碑がある。

高良家住宅:
国の重要文化財に指定されている高良家住宅を見る。質問するとそこにいた年寄りが説明してくれる。
東(南東)側を一番良い部屋とし一番座という。西隣を二番座、その西側を3番座。それぞれの北側の部屋を一番裏座、二番裏座、三番裏座といい、沖縄では皆同じ造りとのことである。一番座には神棚が造り付けとなっている。二番座には仏壇がある。一番座の東外に屋敷全体を守る神への拝所がある。今も年に2回子孫が集まる際に拝所の半球の石の上にお供えを置く。アメリカ軍は古い由緒あるものは皆持っていってしまった。ただ、拝所にあるのはコケの生えたただの半球の石だったので気付かず、そのまま残されたとのことであった。

住宅に関連して沖縄戦に触れる。沖縄戦でのアメリカ軍の最初の攻撃は阿嘉島慶留間島。次の日に座間味島を攻撃。

写真:
・阿嘉の地図に御嶽と書かれた拝所。鳥居はあるが狛犬はいない。いわゆる神社の建築では無い。中には石が祀られている。四角い石壷があり香をたくようになっている。
・やはり阿嘉の拝所と神木、アカテツの木。
・高良家住宅。石垣とは別に玄関の前にあるひんぷん(目隠し塀)があることに注意。柱は当時一般の人には使用が禁じられていた貴重な木で出来ている。床の間の上下は太い黒檀により作られている。高良家が裕福であったことが解る。
・拝所
・美しい慶留間港