DONのヨット暮らし

Mais ou sont les neiges d'antan?

扇の的を射る那須与一で有名な屋島にある庵治港にやって来ました。

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2009.5.18(月)
庵治(あじ)港にやって来ました。
今日の備讃瀬戸の転流、西流が始まるのは10時46分なのでゆっくり小豆島草壁港を11時に出港。
庵治港に入港し後片付けを終わり今、2時。
源平の戦いの中でも有名な屋島の戦いの舞台、庵治。
平家の美女が射よと掲げた竿の先の扇の的を那須与一が見事い射落とす場面です。
この泊地はきらきら丸さんの泊地案内でしりました。
きらきら丸さん有難うございます。
6年前の情報なので着けられるかどうか心配でしたが置くの岸壁に着けられました。

あす、イサム・ノグチ庭園美術館を見に行くつもりなのだが分かり難い所らしい。直ぐそばだと思って散歩がてら歩いて行ってみる。場所は牟礼。インターネットから地図をプリントアウトして持参。直ぐ近くだと勝手に思っていたが、車がバンバン通る道を1時間もかかってそばまで来る。
途中に平家の軍勢が水軍を隠した船隠しという小さな半島の影になったきれいな入り江があった。
植物に水をやっていた叔父さんに聞く。叔父さんもすごくわかり難いと言っている。少し間違ったのと時間がなにしろかかった。庭園美術館の受付場所(本日は休館日)につくまで叉時間を要する。
まあ、事前にチェック出来て良かった。
良い面は那須与一が扇の的を射ったのは庵冶ではなくこの牟礼であった。
異様な形と言える平たい台地の屋島の直ぐ下であった。
的を射る際、那須与一が自分の馬を止めた場所の岩、駒立岩(こまたていわ)が現存し標識がたっている。ただ、千年前は海だったのだろうが今は埋め立てられてしまって僅か水路があるのみ。
屋島の下はいまは分譲地の様になっている。住んでいる奥さんに聞いてみると、ここは私の子供のころは塩田で、それを埋め立て家が建つようになったとのことだった。
コインランドリーも発見。
5:28分のバスが5:46分に来てそれで帰る。
聞いて置いた農協の中型スーパーで食料を仕入れる。
漁港なのに庵冶の魚は非常に高い。国産の肉が安い。どうなってんだ。
艇にもどり簡単に料理。
すっかり遅くなってしまった。

写真:
・庵冶港岸壁に舫うECHO POINT
・船隠しの静かな入り江
屋島を戦場側から見る
・久通浜塩釜神社
・碑
・駒立岩の近くに造っている「祈り岩」のレプリカ
 源平合戦の時、那須与一が平家の船に立てた竿のさきの扇の的を射る時この岩の所で
 『南無八幡大菩薩、わけても私の生まれた国の神明日光権現、宇都宮那須大明神、
  願わくばあの扇の真ん中を射させ給え』と祈ったと伝えられ祈り岩と呼ばれています。
 『いの里岩』の字は、松平頼重公の臣「箕輪野六」の書と伝えられています。
  この岩はレプリカ。本当の祈り岩は「いの里岩」。
  今は庵治街道沿いの民家の前に半ば土に埋まっている。当時は海浜にあった岩。