DONのヨット暮らし

Mais ou sont les neiges d'antan?

ヨット無事

2023.8.15(火)

ヨット無事。

台風7号は夜中から朝方にかけ那智の真上を通過していった。

私は家の用で東京に留まっている。

那智においてあるECHO POINTのことが心配でならなかった。

波8m、風25m。強風波浪警報。

最強時の風は東なのが、やや安心材料。

今朝、11時。ヨットは無事とのサンタマリアさんからラインで連絡。

DENVERさんが海へ行って、自艇とECHO POINTの無事を確認。

その旨をサンタマリアさんに伝え、それを私に連絡してくれたのだ。

良かった。DENNVERさんサンタマリアさん、感謝。有難うございました。

 

 

勝海舟解難録。諸兵脱営

2023.6.12番外編
勝海舟がいた。このことで私は日本人であることを誇りに思う。
彼は数多くの記録を残している。
その一節、解難録より。
私はこの記録を何十年か前に筆記している。
ふと思い出して勝海舟全集を引っ張り出して間に挟まれた文を見る。
その書かれたレターペーパーにはstrawberry fieldsと印刷されている。
私の数少ない友人の一人、村田東治のものだ。
彼はギャルソンのグラフィックデザインを一手に引き受けていた。
彼と数多くの仕事をやってきた。思い出深い。
勝海舟解難録。諸兵脱営より。

解難録
23諸兵脱営
明治元年戊辰
 二月四日、三番町歩兵屯所に到り、暴動すべからざる旨申し達す。 我、 その趣旨の貫徹せざらん事を 思い、練兵場に整列せしめ、指揮並びに小頭を前列し、円隊となし、 我その中央に在って懇々申し達す 。その他の屯所、また殆んど朝よりタに到りまた夜中に到る。その整列の総員一所千人或いは八百人なり。 この夜、同所伝習隊の兵卒四百名、 脱営して高田馬場に赴き、隊を整え八王子へ走る。 我これを聞いて 単騎追い到る。この夜、微雨暗黒、我が馬上灯燈を乱放、数弾を発す。 雨衣を破り、灯を打たれ、つい にあたらず。 板橋に追って五十名ばかりを説論、引返す。 これ兵隊脱走の始めにして、これより数ヶ所 の兵、脱走を企て、士官もまたこれに組する者多し。
我ひそかに思う。仏教師、我が戦闘を主とせざるを察し、我が士官を激し、その戦の利あるを説き その伎価を尽さしめんとなすによるか。 故をもって予が説に服さざる士官、 勇を鼓し殺伐の気前日に 異なり。
七日、三番町の兵隊五百人ばかり、夜中、他の屯所を向きて放発し、同意を説き脱走す。 我、田安門 外に兵隊二大隊を整列、「去るべき者は去れ、止まる者は止まれ、今ここにて同士討ちし笑を引くなかれ 諸隊、我が指令に不満あるあらば、我一人を銃殺せよ」と。この時我が灯燈を持つ者、胸を貫ぬかれて死 す。また側にある者、弾を受けて倒る。これよりこの隊敢えて動かず、みな恭敬して屯所に入る。 脱走 せし者、先の隊五百名、乱放して千住に向いて走る。 我、他を止め、追わしめず。我、この際幸いにして 弾に当らず。この時即死する三名、疵を蒙むる五名にして止む。この時、陸軍士官の頭分みな到るといえども、屯所に隠れて、敢えて出でず。 
これ我が指揮を悦ばざるか、はた恐怖して然るか。 我、その心 中を解せず。後この脱走の隊兵上[州〕・常〔州〕に走り、〔大鳥圭介〕 以下の手に属し戦闘せし所の兵な り。この脱営後、兵隊の挙動甚だ殺伐、上官の命を聞かず、その戦うべからずという者はみな憎まる。 既にその夜、 武田斐三郎が、 下谷練塀小路の居宅を取り囲めて私殺せんとす。 同人、幸いにして遁れ去 る。これ同氏、職を陸軍製造所に奉じ、その頭たり。無謀の戦、不利を説き、軽挙の為すべからざるを 強論するが故なり。
また撒兵隊中にも、若輩、脱走を企て、上官の勇無きを罵り、その邸宅を襲う。本所の住居、当時、 堺奉行池野勇一郎を襲ってこれを討つ。大平鉱太郎は撤兵頭なり。常に隊中に不満あるか、これもまた 討たる。これを見、これを聞きて、官吏恐怖し、手を措くべきなし。
我が性怯弱、これらを聞いてために毛髪森然、今、我、諸士に忘れ憎まるるその魁たり。途上に弾を 受け、邸宅に覗わる。如何ぞこれを遁るべきや。一旦豁然として悟る所あり。生死人に任せて可なり。 我に防禦あらば、彼は多人数なり。 必らず人を害せんこと多からん。 我、 一士を備えざる時は、討者一 人もって足るべく、討たるる者また一人なりと。これより馬側の士分を廃し、口取一人を供す。かつ示 して曰く。「我討たるれば、汝速かに遁れよ」と。邸宅もまた士分を帰し、無知、事を解せざるの婦女を 役す。 示して曰く。「敵来たるも婦女を害さず、 安心決定しておるべきなり」と。 これより心中快然 挙 止ただ一人、敵に逢えばただその討たるべきを知って、これと力を争わず、 心中甚だ安穏を覚え、恐怖 の念漸く消滅す。実に心中語るべからず、笑うべく、歎くべく、遠く古人の大難に当ってその行為せし 所を察せば、貴ぶべく、 及ぶべからざるを思い、心に愧じて殆んど慚死せんとす。

 

ああ、その偉大なる。

汝、これを読んで思うこと如何なるか。

興味ある方は是非、全集で。勝海舟の全集は二つある。二つともかなり大部。
右は勁草書房版、左は講談社

 

2023ボートショー

2023.3.23(土)

昨日はベイサイドで開かれているボートショーに行ってきた。

昔からの友人、真鶴のみさごさんが入場券を送ってくれた。

いつもの様に、先ずはランドマークプラザ陳健一の麻婆豆腐の店で昼食。

1700円の昼食。これも決まりコース。辛いのは苦手なので小辛を頼む。

展示の場所はいつも通りパシフィコ横浜

ヨットの展示は、これまた同じくディンギーが少しのみ。

バスでベイサイドへ向かう。

こちらもヨットの展示は少ない。

チョット珍しいヨットを発見。

初めて見るよっとだ。ライフラインが無い。珍しく優雅なヨット。

艇名はThe Saffier Se 33 Life 。

ヨーロピアンヨットオブザイヤーを受賞したモダンでエレガントなスタイリングと、楽しくエキサイティングなセイリングが特徴と書かれている。

ネットで動画も見られます。

https://press.boatworld.jp/movie/4049/

バスでまたパシフィコに戻り、崎陽軒のシュウマイ。

渋谷に戻りヒカリエでロブションのカンパーニュを土産に家に戻る。

いつも買うロブションのカンパーニュパン

幸い雨に会わなかったが、仙川に駅に着くと小雨。

傘をささないですむ小雨。

いつもはボートショーの後、わかめさんのスミカ【野毛 末広】でうまい焼き鳥を

食べながらビールを楽しむのだが今回はパス。

6時過ぎには家に到着。

 

 

 

 

 

 

 

今年もKirkさんからカレンダーが届く

2023.2.6(月)

今年もKirkさんからカレンダーが届く。

正月に届いたんだが、PCの具わいが悪く、ブログ記載が遅れてしまった。

同じ原因で親しい人達への年賀状も出せず。2月に入ってようやく、近況報告を送った。

Kirkさんはカナダからシングルで日本にやった来て日本に滞在。

現在、Konpira Consultingという会社を運営している。

海外のヨットマンに日本の航海情報を伝え、日本でのクルージングをサポートしている。

日本人の海外航海についても同様のサービスを行っている。

日本での此の様なサービスの初めてかつ唯一の会社だ。

またハイドロベーン社(カナダ)のユニークなウインドベーンを販売している。

正月には家族で「竹ふえ」という素晴らしい温泉に滞在している。

調べたら九州の温泉でした。一度行ってみたい。

今年のカレンダー

 

 

 

 

2022年の航海

2022.12.21(水)

2022年の航海

2022紀伊半島→瀬戸内海→紀伊半島
那智→串本→綱不知→阿尾→撫養→小鳴門→引田港→王子前漁港→宇野桟橋→UW1→牛窓旧港→相生漁港→淡路島富島港→一文字ヨットクラブ→泉佐野和歌山マリーナシティ→阿尾→綱不知→串本→那智
google map 那智→味野港UW1
google map 味野港UW1→一文字ヨットクラブ→那智

 フィッシャリーナ那智→串本港 2022.7.11
 串本港→白浜綱不知 2022.7.12
 綱不知→阿尾港 2022.7.17
 阿尾港→撫養港2022.7.18
 撫養港→小鳴門→引田港 2022.7.21
 引田港→王子前漁港 2022.7.24
 王子前漁港→宇野港桟橋 2022.7.27
 宇野港桟橋→UW1 2022.7.28
 UW1→牛窓旧港 2022.8.8
 牛窓旧港→相生漁港 2022.8.9
 相生漁港→淡路島富島港 2022.8.14
 淡路島富島港→一文字ヨットクラブ 2022.8.17
 一文字ヨットクラブ→泉佐野漁港 2022.8.21
 泉佐野→和歌山マリーナシティ 2022.8.26
 和歌山マリーナシティ→阿尾漁港 2022.8.29
 阿尾漁港→白浜綱不知 2022.8.30
 白浜綱不知→串本港 2022.9.9
 串本港→フィッシャリーナ那智 2022.9.14

コロナ禍で今年も航海を制限されることとなった。 

東京から那智に移動できたのは5月の17日。 

昨年は9月191日にようやく那智に移動できたのに比べれば未だまし。 

那智を離れ航海に出たのは7月の11日。 

ぐずぐずしていたのは今年はハルを塗り替える予定で、 

その塗料待ちであった。塗料はインターナショナルのパーフェクション赤。 

3月に発注したがこれもコロナ禍で日本に来るのは7月末との回答。 

それに合わしての遅い航海となった。 

今年の航海での成果は何と言っても一文字ヨットクラブに寄り、 

KISARAGIさんにお会いできたことだ。 

那智に戻ったのは9月23日。約73日の航海であった。

聖地巡礼としては、日本の最も古い神社、大神神社参拝

もう一社の日本で一番古い神社、石上神社参拝

奈良県の有名な石舞台にも行ってきました。

岡崎和郎の矢印について

2022.12.11(日)

番外編:

昨日は慶応の三田キャンパスで開かれた

滝口修造研究会特別例会パピエプリエ00:交信紙ー岡崎和郎の矢印について」

に出席。

なんか60年ぶりくらいに慶応の三田キャンパスに行く。(母校では無い)

岡崎さんの家にお邪魔して会話と酒を楽しんだ下の娘も同行。

コメントを述べるのは馬場駿吉氏と平芳幸浩のお二人。

馬場氏は岡崎さんから名前を聞いていたが平芳氏は初めて。

会場風景

国内外からネットで参加。

岡崎さんの矢印作品

久しぶりに学究的雰囲気にひたる。

瀧口修造没後40年以上とのこと。

滝口修造氏の命日は「橄欖(かんらん)忌」と名付けられ毎年近い人が赤坂の店に集まっていた。

橄欖(かんらん)とはオリーブの木、滝口さんちの庭にあった)

私も2年続けて会に出席した。池田満寿夫さんなど知った顔、巖谷 國士さんも来ていた。

あれから40年経っているのか。

録音された岡崎さんの声が流れる。心が揺さぶられる。