DONのヨット暮らし

Mais ou sont les neiges d'antan?

大神神社参拝

2022.10.10(月祭日)

DENVERさん、予定通り7時に迎えに来てくれる

奈良に入り先ず石舞台を体験。

続いて大神神社(おおみわじんじゃ)参拝。

伊勢神宮の様に門前町と言える賑わいで多くの店がある。

神社名碑

大鳥居

鳥居額

大神神社ホームページより

当社の創祀そうしに関わる伝承が『古事記』や『日本書紀』の神話に記されています。『古事記』によれば、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が出雲の大国主神(おおくにぬしのかみ)の前に現れ、国造りを成就させる為に「吾をば倭の青垣、東の山の上にいつきまつれ」と三輪山まつられることを望んだとあります。また、『日本書記』でも同様の伝承が語られ、二神の問答で大物主大神大国主神「幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)」であると名乗られたとあります。そして『古事記』同様に三輪山に鎮まることを望まれました。この伝承では大物主大神大国主神の別の御魂みたまとして顕現けんげんされ、三輪山しずまられたということです。この様に記紀ききの神話に創祀そうしの伝承が明瞭に記されていることは貴重なことで、当社が神代に始まった古社中の古社と認識されており、ご祭神さいじんの神格が如何に高かったかを物語っていると言えます。そして、ご祭神さいじんがお山にしずまるために、当社は古来本殿を設けずに直接に三輪山に祈りを捧げるという、神社の社殿が成立する以前の原初げんしょの神祀りの様を今に伝えており、その祭祀さいしの姿ゆえに我が国最古の神社と呼ばれています。「大神」と書いて「おおみわ」と読むように、古くから神様の中の大神様として尊ばれ、第十代崇神すじん天皇の時代には国造り神、国家の守護神としてあつまつられました。平安時代に至っても大神祭(おおみわのまつり)、鎮花祭(はなしずめのまつり)、三枝祭(さいくさのまつり)が朝廷のお祭りとして絶えることなく斎行され、神階は貞観じょうがん元年(859)に最高位の正一位しょういちいとなりました。延喜式えんぎしき社格官幣大社かんぺいたいしゃで、のちに大和国一之宮やまとのくにいちのみやとなり、二十二社の一社にも列なるなど最高の待遇に預かりました。中世には神宮寺じんぐうじであった大御輪寺だいごりんじ や平等寺を中心に三輪流神道が広まり、 広く全国に普及し人々に強い影響を及ぼしました。近世に入ると幕府により社領安堵あんどされて三輪山は格別の保護を受け、明治時代にはその由緒によって官幣大社かんぺいたいしゃとなりました。現在も国造りの神様、生活全般の守護神として全国からの参拝があり、信仰厚い人々に支えられて社頭は賑わっています。

拝殿

拝殿は鎌倉時代に創建されたことが文献に見え、現在の拝殿は寛文かんぶん四年(1664)徳川四代将軍家綱公によって再建されたものです。白木造りの質実剛健しつじつごうけんな建物は横が約17m(桁行けたゆき九間)、縦が約8m(梁行はりゆき四間)の切妻造(きりづまつくり)で、正面には唐破風(からはふ)の大きな向拝(こうはい)がつき、屋根は檜皮(ひわだ)でかれています。拝殿は江戸時代の豪壮ごうそうな社殿建築として、三ツ鳥居みつとりいと共に国の重要文化財に指定されています。

拝殿の奥、三つ鳥居。見ることは出来ない。

大神神社拝殿の奥は禁足地として普段は神職さえ足を踏み入れない神聖な場所で、禁足地と拝殿の間には結界として三ツ鳥居みつとりいと瑞垣が設けられています。三ツ鳥居みつとりいの起源は不詳で、古文書にも「古来一社の神秘なり」と記され、本殿にかわるものとして神聖視されてきました。この鳥居は明神型の鳥居を横一列に三つ組み合わせた独特の形式で「三輪鳥居」とも呼ばれています。中央の鳥居には御扉みとびらがあり、三輪山を本殿とすれば、三ツ鳥居みつとりいは本殿の御扉の役割を果たしていると言えます。

拝殿左に参集殿

巳の神杉(みのかみすぎ)

三輪の大物主大神の化身の白蛇が棲むことから名付けられたご神木。蛇の好物の卵が参拝者によってお供えされている

ご朱印拝受