DONのヨット暮らし

Mais ou sont les neiges d'antan?

串本2

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2006.6.10(土)朝食を終わり、トイレに行って7時少し前。天気予報では午前中晴れ午後から曇りだが、朝からくもり。
強風対策で舫いロープをコンパニオンウエイの下から取り出す際に体が当たってオートパイロットの部品を外してしまった。再設置の為、木の台座から取り付ける。完了。次にテンダーのデッキ設置部分とCQRアンカーを置く場所のパッドをクッション材で作成する。あと、水が汚いので延期していたスクリューの点検をやってしまう。異常無し。釣り糸の残りかすが少し残っていたのでロープ切で削除。水はさして冷たくない。

まだ行っていない無量寺に行こうとすると雨が降ってくる。小雨なので傘を差して出かける。大変な寺があった。なんでこんなところにとは言わなかったが、どうしてこんな名品がここにあるんですかと聞いた。禅宗の寺、無量寺は元、高富の海中公園のある場所近くにあったが、1600年?ごろの地震で崩壊し、串本の今の場所に立替られることとなった。其の時の住職と円山応挙が京都で親しかった。新しい寺の為、応挙は床の間その他の襖絵を描く。弟子の芦雪にsれを持たせた串本に向かわせた。芦雪は新築の本堂の向かって右に龍、左に虎の巨大な襖絵を描いた。其の実物の絵が見学者に見やすい様、本堂、床の間そのままを再現し、立ったまま回遊しながら見られる美術館として新たに施設を作っている。ここは収蔵庫と言っている。ただ一人の見学者である私の為に重い扉をあけて女性担当者(住職の娘さん?)が案内してくれた。この収蔵庫は特別コーナーで寺の美術品と縄文時代の出土品等を展示公開するのは「応挙芦雪館」である。応挙の絵が10点以上あるし、若冲の作品も何点もある。白隠その他著名な日本画家作品を多数所持展示している。これらはどうしたのだろう画家から寄贈されたのだろうか、住職が収集したのだろうか。江戸時代は地方でも豊かな文化が花開いていたのだ。今はこのような貴重な財産もあまり尊敬されず、訪れる人も少ないようである。現在建っている本堂もかなり大きな瓦葺の建物で古いものでは無いかと思うが特に説明板は無い。あまり手入れに余裕が無いように見える。なお、応挙の作品は円熟した書きなれた作品と言った感じであり、芦雪の絵も名品とはひ評価しなかった。ただこれだけの応挙の絵と芦雪の大作その他一流の作者の作品を一つの地方の寺が所持し公開していることは非常に素晴らしい。

串本の家なみ。
串本の港は水もきたなく漁業の不振から、なんとなく殺伐とした感じで、人の表情も今まで見てきた熊野の人々の持つ純朴で丁寧な様子とはかなり違ったものがあった。家々の感じも港の近くは同様であった。無量寺のまわりを傘をさしながら歩いてみて串本の本来の町がここにあることが解った。石で囲まれた大きな屋敷と見られる住まい。入組んだ細い道。山から流れて来る小川等、歴史と落ち着きを感じさせる。串本に来た人は港だけでなく是非、このかっての住宅地を散策して欲しい。

写真:無量寺本堂のたたずまい。
   正門からは本堂が見えないので裏門から撮ってます。