DONのヨット暮らし

Mais ou sont les neiges d'antan?

鳥羽中之郷岸壁の朝は晴れ

2019.11.2(土)

鳥羽中之郷岸壁の朝は晴れ。

きのうよりは風も波も収まってきた。

全速で進む漁船、本船の引き波で、少し少なくなるが大きく揺れる。

なにしろ、揺れる所だ。

朝食は6時過ぎに済まし、ゆっくりしている。

 

午前中は航海データ作り。

午後、観光するものがあるか、鳥羽駅まで行ってみる。

泊地から2~3分にある近鉄中之郷駅から一駅で鳥羽駅

観光案内所で地図と資料を貰い簡単な説明を聞く。

近辺に見るような所無し。

 

今回の係留の発端となった鳥羽マリーンセンターに行ってみる。

グーグルマップで見た長く空いている岸壁はただの防波堤であった。

観光船事に5つぐらい、屋根付きの桟橋が伸びている。

これでは成るほど、ヨットを留める余地は無いな。

結局見る所は無く、観光終了。

 

実は私は40、5、6年前、鳥羽に来ている。

緑に囲まれた海辺の長いすで、浮かんだ牡蠣イカダの様なものが連なっ

 ている海を眺めながら、食べる刺身が生きていて動いている。

多分、伊勢海老だったのだろう。

この様な情景が鳥羽駅近辺に今も存在するかと思ったが、あるのはビルばかりであった。

マー、40年以上まえだからねー。

鳥羽に来る前に、伊勢神宮にお参りしている。

きのう行って解ったが内宮だった。

不思議なのは、その前後がぷっつり記憶からとんでいることだ。

名古屋から近鉄特急に乗った様な気がするが別件とゴッチャにしているかもしれない。

また、鳥羽のあと何処に行ったか、どうしたかも不明。

全て、敦子がおぜん立てしたのだろうか。何故、前後が飛んでいるのか。

 

鳥羽駅から2つ目の赤崎まで移動し、見つけておいたイオンで食材を購入し、

艇に16時半ごろ戻る。

 

今、料理中。17時半

 

・朝、6時3分、鳥羽中之郷岸壁から見る鳥羽の東、日の出前。

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 泊地から2~3分にある、近鉄中之郷駅

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遠くてチョット見えにくいですが、きのうそばまで行って係留を止めた鳥羽国際ホテルのポンツーン。さえなく見えたのは日陰になる位置のせいもある。

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始めての鳥羽訪問

2019.11.1(金)

鳥羽へやって来ました。初めてです。

 

写真:

・鳥羽中之郷岸壁。鳥羽でヨットを着けらるのはこの岸壁だけです。

 始め、横の長い岸壁に槍着けできるならと港湾事務所のコメント。

別に問題無い。

ビットに数字が書いてある。11番と12番は使用できると、電話で連絡を受ける。

風強く、波も悪いが着けられないことは無い。

アンカーを打ち、一旦槍着け。

アンカーが効かない。

一旦引き上げ、もう少し遠くに再度、打つ。今度は効いたようだ。

港湾事務所が入港手続きにやって来る。

書類に必要事項を記入。

料金は5トンで54円。

小湾事務所の人が引き上げようとすると、

釣り人が、ここはアンカーが効かない。

側面の短い岸壁に横付けした方が良いと言ってくれる。

港湾委員の人も、そちらに移動しても良いと言ってくれる

見に行ってみるとこちらの方が少し静か。北の風は岸壁から引き離す風向。

それと、今の槍着けで夜中に錨が抜けたりしたらやりきれない。

そこで、移動を決める。

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 神社港(かみやしろこう)→鳥羽国際ホテル→鳥羽中之郷岸壁 8.7マイル

鳥羽国際ホテルで昼飯を食う予定でゆっくり9時半ごろ出る。

貰った浅瀬をよけて進むブイの地図を片手に操船。

ブイらしきものは見えない。

双眼鏡で目をこらし発見。

ほんのちゃちいブイ。あるはずと思わないとみつけられない。

地図には5つのブイが表示されているが一つ無かった。

ブイを左に接近して進む。

 

外に、ようやく出る。ひやひやものだ。

出口あたりから風が強まったが、波が非常に悪くなる。

いつも港内でメインを揚げるのだが、狭すぎて揚げらない。

外に出て揚げようとするが波悪く風強く。

出口の悪い波がなくなる沖まで行ってメインを揚げる。

風、波に加え、潮もキツイ。

オートパイロットではジャイブを何回もする。

手での操船に切り替える。

桃取航路の奥にはいるとようやく波が収まる。

 

鳥羽国際ホテルのポンツーンに舫って、昼めしはここで取るつもりで来た。

ホテルポンツーンへ向かうと風も波も少し収まる。

ポンツーン発見。十分着けられるな、とそばまで、近寄る。

しかし、ここでチュウチョ。全く使われて無いポンツーン。

背景のホテルを含め、何か全体に、わびしさが、ただよっている。

寄港中止。

パスして、今日の泊地、鳥羽中之郷岸壁を目指す。

 

フェリー用の長い桟橋のフェリー反対側に着けると思っていた。

しかし、近づいてみると着けられるとは思えない。

さらに奥に進み、電話。

着ける中之郷岸壁は陸の岸壁。

大型船が槍着けしている。

電話をして着ける場所を聞く。

槍着けしかできないが、ヨットで大丈夫かと聞かれる。

OK。そのつもりで来た。

船がしょっちゅう入るのでその日空いているビット番号を指示する。

番号は近づけば見えると聞いたが見えない。

ほんの近くまで寄って、数字を確認。

着けるのは、11と12

風が強い上に何故か波立って、非常に悪い状況。

その顛末は上に書いた通り。

地元の釣り人は砂でアンカーが効かないと言っていたが、

砂では無く、泥。

愛用のアンカー、フォートレスは泥使用に組み換えできのだが、

荒れた状況でそんな余裕は無く、アンカーが効きにくい所なのは確か。

荒れた状況でよなか、走描なんてたまらないので横に移動。

長い岸壁には11時半に一旦もやいを固め、やってきた港湾管理担当者に、

入港手続きを済ます。

親切な釣り人が教えてくれた側面岸壁に移動。

長い舫いが必要でどうにか、固め終って、13:30。

結構きびしい一日であった。

 

鳥羽へのヨットでの寄港:

なんとか鳥羽にヨットをとめられないか調べる。

2004年、いまから15年前のKAZIに鳥羽国際ホテルのポンツーンに留めるヨットが掲載されている。

電話をしてみる。1泊の予定。

なんとなくはかばかしく無い返事。留めるヨットなど今はいないようだ。

ネットで色々探す内、新しく出来た綺麗な、「鳥羽マリーンターミナル」を発見。グーグルマップで見るかぎり空いている。

電話0599-25-4800に電話。

「志摩建設事務所、0599-25-4359」に連絡して届ければ留まれると教えてくれる。

電話。

1)留められるのは「鳥羽マリーンターミナル」では無く、中之郷

2)その日空いている岸壁のビット番号を教える

3)槍着けしか出来ない

4)何日か留めるのは問題ない

5)鳥羽でヨットを留められるのは此処しかない

以上、槍着けは問題ないので、ここに決める。

この時は中之郷とは、フェリー桟橋のフェリー反対側と思っていた。

この電話に出た人が内容を確認して、「鳥羽港管理事務所」に連絡する様だ。

船を着けた後、鳥羽港湾管理事務所の方が手続きと料金徴収にやった来た。54円。

 

伊勢神宮内宮参拝

2019.10.31(木)

下宮から10分おきに出る下宮、本宮循環バスに乗り本宮へ。

五十鈴川にかかる有名な橋を渡る。

 

巨木に囲まれた参道を進む。

五十鈴川の河原に出る。

さらに進む。

 

内宮、拝殿にて参拝。

ここも拝殿には白い幕がかかっていて、その前で参拝。

撮影は一切禁止。

鳥居に進む石段の下からしか撮影出来ない。

警備員が拝殿右側の入り口におり、拝殿への左側の入り口は見えないので、

ほんの少しのぞく本殿を左入り口から撮影。

 

社務所にて始めて、ご朱印帳を購入し、御朱印拝受。

 

伊勢神宮駅まで戻り、神社港に行く、毎時15分のバスに乗り、海の駅まで戻る。

 

 

有名な五十鈴川にかかる橋を渡って参拝。

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五十鈴川の流れ

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五十鈴川ほとり

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拝殿。この石段下からしか撮影が出来ない

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警備員が反対側にいたので、鳥居の所で撮影。遠くかすかに本殿がのぞく

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 伊勢神宮御朱印帳にご朱印拝受

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伊勢神宮下宮参拝

2019.10.31(木)

船を着けた、神社港海の駅から56分に伊勢神宮駅行きの「神社港バス停」がある。

伊勢神宮お参りは下宮からが決まりらしい。

伊勢神宮駅で降りたら10分おきに出ている伊勢神宮下宮、内宮行バスにのるのが普通。

しかし、地元の方が下宮までは歩いて歩いて5分程度。

回りの店や雰囲気を味わえるので、正式の参道を歩いて行った方が良いと教えてくれる。

歩いて伊勢神宮下宮へ。

下宮も小さな橋を渡る。

参拝者が多数。

ヨットで伊勢神宮参拝にきました。うれしい。

ただし、下宮の拝殿は白い幕がかかっていた。

伊勢神宮下宮参拝。

拝殿のしろい幕の前までしか行けない。

また撮影も一切、禁じられていた。

 

一旦、下宮拝殿の外へ出て、離れた所から、遠く、金色に光る本殿の一部を確認して撮影。

 

参拝後、社務所にて御朱印拝受。

その際、御朱印帳について聞く。

私は御朱印帳を持たず、いつも紙の状態で貰っている。

しかし、唯一か所、私が最も力強く、美しいと感じる神社、神魂(かもす)神社では宮司らしき女性から、ご朱印帳しか御朱印を押せないと言われる。

神魂(かもす)神社に二度訪れているが二回とも同じ回答。

そこでご朱印帳も持とうと思っていた。

やはり、伊勢神宮御朱印帳が欲しいと思っていたのだ。

女官は下宮には1種類しかない。内宮に行けば8種販売していると教えてくれる。

内宮で選んで買おうと決める。

 

下宮入り口まで戻り、内宮行の循環バスに乗り内宮を目指す。

運賃は下宮から内宮まで440円、距離は、ごく近い。

橋を渡る

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参道

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拝殿。入れるのはここまで。写真撮影は、鳥居の外からのみ

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遠くから本殿らしき金ぴかが見える

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次に立つ場所

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 御朱印拝受

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 ヨットで伊勢神宮参拝、伊勢、神社港(かみやしろみなと)着

2019.10.31

皆さん、信じられますか、ヨットで伊勢神宮参拝。

江戸時代、伊勢神宮参拝を船で行う人々も多々ありました。

船参宮(ふなさんぐう)と言う。

江戸時代にさかのぼる。江戸時代の再現。

ヨットで神社港、「じんじゃこう」とは読まない。

「ジンジャコウ」では無く、「かみやしろみなと」です。

伊勢神宮、内宮、下宮参拝。艇に戻ってきました。

 

答志島和具港→神社(かみやしろ)港 10.4マイル

はやく着きたいので7:10スタート。港内は狭いので港を出てすぐメインを揚げる。

行き会い船も殆ど無く、進みやすい。

菅島水道では連絡船らしきに1艇、漁船に1艇、前方から来るのに会っただけ。

向島と答志島の間を抜けるあたりには何隻かの小漁船がに出会う。

順調に宇治山田港入り口にたどり着く。

NEWPECにも港湾案内にも入り口左手に出っ張る巨大漁網が表示されている。

計画どおり行けば、この網は避けられる。

神社港がある宇治山田港は港湾案内に載っている(あまり参考にならないが)

NEWPECもつぶさに検討して航路を決めた。

しかし、神社港に入港についてはあまり参考にならない。

航路は狭く、浅瀬が多い。

 

順調に進み、もう着くと言うところまで近づいた所で一代事件発生。

入港時から航路と水深を表示して進んいたが、

急に推進が2mを切り、1.3mとかになったと思ったら動かなくなる。

浅瀬に乗り上げたのだ、エンジンを3000回転にする。

少し動くが水深は同じ様、抜け出せない。

30分はアレコレやっていた。

と、地元の漁師?の方が近づいて来て、引っ張ってあげると言ってくれる。

引き綱をつけ、最速で引っ張ってくれる。

何度かやるがチョット動くだけで、浅瀬から抜け出せない。

と、引っ張ってくれた船長が友人に電話してもう一隻呼んでくれる。

この2隻でもなかなか動かない。

何度も2隻全速、こちらは3000回転で試みる。

と、ようやっとECHO POINNTが動き出すでは無いか。

以後は浅瀬を抜けでることが出来た。

目的地、神社港桟橋まで誘導してくれる。

 

あっさり、去って行ったが、なんとお礼をして良いか解らない程だ。

事務所で聞いて貰ったところ、その艇は「好栄丸」さん。

好栄丸さん、有難うございました。

 

船を着ける時にはポンツーンに事務所の方が出て、舫いを取ってくれる。

 

10時前に着く予定だったが、10時半、舫い完了。

舫いロープその他が散乱している状態だったので、後片付け。

伊勢神宮へ行くバス停「神社港」停留所を教えてもらい確認に行く。

昼前になったので、昼食。

バスは1時間に1台、50分に伊勢神宮駅行きが来る。

 

12時50分にバスに乗る。

駅まで行き、歩いて伊勢神宮下宮へ向かう。

バスもあるが、歩いて5分ぐらだし、周りの店や雰囲気を味わえるので、

チャントした駅からの参道を歩いて行った方が良いと地元の人が教えてくれる。

 

伊勢神宮、下宮参拝。

御朱印拝受。

私はいつも紙で貰っているが、御朱印帳も持ってみようと、見せてもらうと、

1000円の1種類しかない、内宮に行けば8種類ありますと教えてくれる。

そちらで選ぶことにして、いつもの様に紙で貰う。

入口まで戻り、10分おきに出ている内宮行きのバスに乗り、伊勢神宮内宮に向かう。

伊勢神宮内宮参拝。御朱印帳購入。

再度循環バスに乗り駅まで戻る。

 

1時間に1本、15分に出る。

16時15分に乗り、艇に戻る。

 

神社港の方々は皆、親切かつ誠意を持って接してくれ、教えてくれるので、有難い。

 

使って良い無料の自転車を教えてくれる。

未だ、明るかったので、大型スーパーの場所を聞き、自転車で出かける。

そうすると、なんとイオンがあるではないか。

イオンを探していたのだ。

米、お茶は銘柄がイオンで決めているのだ。

味噌も切れそうで購入。

その他アレコレ、どっさり購入。4,800円にもなってしまった。

値段よろ重くて、自転車の前カゴに入れると実に不安定であった。

 

帰りは真っ暗。慣れない細い歩道をどうにか戻る。

 

艇に戻ってすぐ飲みに。

事務所の人が教えてくれた30秒ぐらいの所にある飲み屋がなかなか雰囲気いが良い。

いつもの様に生ビールを何杯かと日本酒も欲しくなり、お勧めを1合のみ追加。

うどんに空揚げを作ってもらう。

なかなか良い店ですよ。神社港に行った時は是非。

 

艇に戻り、風呂のしたくをして、事務所の風呂へ。

神社港の建物には泊まらず、艇にもどる。

良い一日であった。

 

 

 

 

写真:

神社(かみやしろ)港桟橋に舫うECHO POINT

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 神社港に行くには真ん中を通れば良いと思ってはいけません。

航海計画どおり進めば問題なかったのに、水深計ばかり眺めていて、

真ん中を通ったので、座礁

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 ヨットで船参宮:

着けるところは神社(かみやしろ)海の駅

http://www.kamiyasirominatomati.com/uminoeki.html

留める桟橋はコンクリ作りの桟橋の手前にある桟橋。

岸壁に大きく告知と海の駅と看板も見えます。

着けるのに3000円/一日

特徴は海の駅の建物があり、宿泊できることです。

乗員一人当たり、1000円。

この、布団でタタミの上に寝ることが出来るというのが特徴です。

風呂あり。ガスコンロも使えます。

桟橋係留と建物使用がセットになっています。

 

船参宮(ふなさんぐう)

かねや太鼓で船参宮にやって来た人々は神社港、さらに上流二軒茶屋、さらに上流、河崎で降りて歩いて伊勢神宮にお参りした。

大変盛んで、遊郭も至る所にあるほどであった。

ヨットを着けた桟橋のすぐ裏側も遊郭地跡がある。

 

明治天皇は明治5年、歴代天皇として初めて伊勢神宮参拝を行った。

船で伊勢に来て、神社港のさらに上流、二軒茶屋で降りた。

また、日本海軍は神社港に毎年上陸し、伊勢神宮参拝をすまし、

遊郭で骨を休めたそうだ。

 

船参宮の人々は何処から船に乗ったか。

江戸時代は蒲郡港からと思われるとのこと。

なお、明治に入っては汽船会社が熱田港から神社港までを日に3便運航したと、

資料に記載されている。

熱田港とは今の名古屋港。

熱田港が整備され名古屋港となった。

 

以上、海の駅、NPO法人かみやしろみなとまち再生グループの方に聞いて、

記しました。

 

答志島、八幡神社、美多羅志神社参拝

2019.10.30(水)

八幡神社。島の守護神と島のパンフレットにある。

神社名碑

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遠景

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参道

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特に拝殿は無い

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本殿。コンクリート

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渡る橋

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美多羅志神社

参道

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拝殿

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拝殿内部

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拝殿額

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本殿正面

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本殿

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答志島散策

2019.10.30(水)

夜、結構西風が強かった。

よなか起きて、擦れ止め板を設置。

朝は良い天気。

東に山があり、朝日が昇るのが遅い。

それと、ヨットが舫うこの岸壁(他も同じだが)は大潮時の満潮には、

水面すれすれとなる。フェンダーを下に設置する必要あり、注意!

和具港では港内徐行の習慣は無いらしく、

狭い港内だけど、最初からスピードを出してます。

6時45分、ようやく山の上に朝日。

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午前中は航海データ作り。

午後、答志島探索に出発。

歴史上、答志島が有名なのは織田水軍の将として、歴史上に名をはせた九鬼嘉隆

首塚と胴塚があることです。

織田水軍の将として、歴史上に名をはせた九鬼嘉隆は、海の浮き城とよばれた鳥羽城を築き上げました。信長とともに戦った嘉隆の歴史上最大の功績は、信長の日本制覇を阻止しようと10年以上も対抗してきた毛利水軍村上水軍)を日本で初めて鉄張の軍船をつくり撃退したことです。信長の死後も秀吉の命を受けて、朝鮮出兵での指揮を務めるなど、戦国時代の日本の歴史と深く関わってきました。しかし、関ヶ原の戦いで、九鬼家の父と子が西軍・東軍に分かれて戦うことになり、負けた西軍についていた父・嘉隆は、答志島で自刃して果てました。嘉隆の首は「我が首は我が鳥羽城が見える場所に」との遺言とおり鳥羽城を見渡せる丘の上に、胴部はその麓に葬られ首塚、胴塚として答志島和具に残されている。

首塚

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囲いの中に自然石

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首塚から眺める。鳥羽城がこの方向かは不明

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胴塚

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刀を洗った血の池

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さらに古く、二つの古墳跡があります。なんでこんなに山奥に墓を作ったか解せない。

岩屋古墳。かなり遠い。山の上。登るのが大変。子供猪が驚いて逃げていきました。

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蟹穴古墳。内容不明

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柿本人麻呂西行の詩碑があります。

万葉集中、人麻呂の読んだ歌の中に答志島が出てくる。

西行は実際、鳥羽から答志島を見て読んだようだ。

西行歌碑

2019.12.27追記

山家集に「伊勢の答志と申す島には、小石の白の限り侍る

浜にて、黒はひとつもまじらず、むかひて菅島と申すは、

黒の限り侍るなり」とあり、続けて

さきしまの 小石の白を高波の 答志の浜に 打ち寄せてける

の歌。

答志島の白い石には気づきませんでした

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人麻呂歌碑

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