DONのヨット暮らし

Mais ou sont les neiges d'antan?

宮崎5

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2006.8.18(金)昨夜、台風10号が宮崎の上を通過。11時前に最も風強まる。外に出てもやいを一応点検する。雨、風ともに強い。2個のアンカーが飛ばないように追加して縛る。安心なのはうねりと波が殆ど入らず、風の力をうけるだけだ。それでも強風の際はかなりの力かかり、ゆれる。
朝は雨、風ともに残っていたが次第に風は弱まっている。雨は今は上がっている。ただ西の空は黒くもに覆われているのでやがて叉降ってくるだろう。今、簡単にコックピットの掃除を終わり8時。

頓馬さんから電話。観光に行きませんかとお誘い。奥さんと一緒に10時に車で向かえに来てくれる。
先ず、今回台風避難をするかもしれなかった青島漁港に寄って港内を見る。
後は海岸沿いに海を眺めながらドライブする。曇りであまり暑くなく、地平線に近いところは晴れており海は白波が立ち素晴らしい展望と景色。観光コースはお任せであったが、ナント行きたかったう鵜戸神宮にお参りする。

油津港に到着し寄港場所の具体的位置等を教えてもらう。港の食事所で昼食。まぐろの巨大目玉も食す。油津はかなり大きなかつ歴史ある町である。散策してみたくなる町並みが並ぶ。

次に飫肥に向かう。明治になるまで飫肥(おび)藩があり、飫肥城跡が現在も残る。城下町としての町並みが保存されパンフレットには九州の小京都とある。城跡、城主の住まい、歴史資料館、古い町並みなどを散策。清潔で気持ちの良い町である。

今日の観光、結びとして飫肥のとなりの北郷温泉に行く。土地の人がいっぱい来ている。

帰りの車の中で、夜は頓馬さん夫婦といっぱいやることに決定。
宮崎の繁華街、地鶏の店で生ビール3杯とあとは焼酎を付き合う。例によって結構のんでしまう。チョットのつもりが12時。タクシーで帰る。

写真:
・鵜戸神社前の磐と荒波
飫肥城下町
・鵜戸神社のある洞窟




解説から
日南市宮浦地区、鵜戸崎と呼ばれる岬に鵜戸神宮はある。地元では親しみを込めて「鵜戸さん」と通称し、人々の信仰を集める。規模、知名度ともに宮崎県南では屈指の神社で、特に海岸の断崖の海蝕洞の中に本殿が建つという特異さがよく知られ、日南海岸の観光地のひとつとして訪れる人も多い。正月には海からの初日の出が見られることもあって近隣から多くの初詣客を集めている。

鵜戸神宮は日本神話に語られる山幸彦・海幸彦の伝説の舞台となった場所として知られる。邇邇藝命と木花之佐久耶毘売との子である海幸彦(火照命)と山幸彦(火遠理命、またの名を天津日高日子穂穂手見命)はそれぞれ漁と狩りを生業として暮らしていたが、ある時、山幸彦の申し出によって互いの道具を交換して仕事に出る。慣れぬ仕事で成果は上がらず、さらには山幸彦は兄の大事な釣り針を無くしてしまう。

途方に暮れる山幸彦は塩椎神の助言に従って綿津見神の宮へ行き、そこで綿津見神の娘である豊玉姫を妻とする。やがて山幸彦は釣り針を取り戻して陸に戻るが、山幸彦の子を身ごもっていた豊玉姫が出産のためにやってくる。豊玉姫の出産のための産屋が、今は鵜戸神宮本殿の建つ洞に用意されたのだという。鵜の羽を用いた立派な産屋だったが、完成が出産に間に合わず、そのことから生まれた子は鵜葺屋葺不合命(うがやふきあえずのみこと)と名付けられた。鵜戸神宮はこの鵜葺屋葺不合命を祀っている。

「出産の時には本来の姿に戻らなくてはならず、その醜い姿を見られたくないから出産の際は産屋の中を覗かぬように」と豊玉姫は山幸彦に言ったのだが、心配する山幸彦は中を覗いてワニの姿に戻って出産する姫の姿を見てしまう。それを悲しんだ豊玉姫は海原の国へ戻ってしまった。姫は子のために乳房を置いていったと伝えられる。山幸彦ひとりで子を育てるのは大変だろうと、豊玉姫は妹の玉依姫を乳母として地上に送る。やがて成長した鵜葺屋葺不合命は玉依姫を妻とする。ふたりの間に生まれた子の中に、後の神武天皇がいる。
鵜戸神宮の創建は崇神天皇の御代ともいうがはっきりしないようだ。782年(延暦元年)に天台宗の開僧光喜坊快久が神殿を再興したという。光喜坊快久は同時に寺院も建立して初代別当となり、勅号「鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺」を賜って、両部神道の道場として栄えたという。明治になって廃仏毀釈によって寺院が廃止され、鵜戸神社、さらに鵜戸神宮と改称されて現在に至っている。

鵜戸神宮はその伝説のためか、縁結び・夫婦和合・子授け・安産などの御利益で近隣の人々の信仰を集めてきた。古くは日向の国のみならず、大隅、薩摩からも御利益を求める人々が鵜戸への街道を辿ったという。かつて昭和40年代に宮崎と日南海岸が新婚旅行ブームで賑わった時代、鵜戸神宮参拝が旅行コースに欠かせない場所であったのも、その御利益によるものだろう。