DONのヨット暮らし

Mais ou sont les neiges d'antan?

07宜野湾8

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2007.3.16(金)今日は曇りだが、あまり風もないので、首里の霊地を訪れる。
間違って始めて32番のバスに乗るとこれが那覇市内に一番早く行くバスであった。
市庁前でモノレールに乗り、終点の首里で降りる。
守礼門の前まで来て、沖縄に以前来たのはどうも1度では無い様な気がして沖縄の記憶を振り返ってみる。
過去に2度来ているのに気が付く。最初は浜松のアクトシティの企画で沖縄地区の審査の為来たのだ。
この際、慶良間諸島座間味に小型飛行機で行ったり、石垣島まで行ってみたりしたのだ。
15年ぐらい前だと思う。次にカナダ大使館のビルに通産省の仕事で居た時に沖縄視察の為、来たのだ。
沖縄東側の海岸をプライベートビーチにしているきれいなホテルであった。
この時は役人も一緒だったので遠方に行くのは無理で、
コンベンションセンターを視察した際、隣の宜野湾マリーナの所在を確認し、時間の合間にマリーナを見に来たのを覚えている。
この時、一行で守礼門の前で記念撮影をした。
首里城は一度サットみたのと、それと別に一人でゆっくり見た記憶がある。今日は首里城は見ないことにする。

<園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)>
琉球王が旅の道中等の安泰を祈願した門である。門の後ろが御嶽(うたき)、聖地である。
今も沖縄の人が門の前で祈る。沖縄の9つの世界遺産のひとつ。

<玉陵(たまどぅん)>
第二尚氏歴代王の墳墓である。琉球地区に入って家の様な墓がしきりに目に入る。
この墓が最大のものである。これも世界遺産の一つ。

<石畳の道>
首里城から南面に作られた琉球時代の石畳の急で細い道。
緑も多く気持ちの良い散策道である。
この道の左右には木々や草花等、緑の多い家が多く、本来の沖縄とはこのような土地だったのではないかと思わせる。
このような沖縄をもっと拡大し、本来の美しさを沖縄はとりもどさなけばならない。

<大赤木>
石畳の道から少し入ったところにある赤木の巨木。拝所となっている。一帯が霊地となっている。
<安谷川御嶽(あだにがーうたき)>首里城公園から県立芸代の脇をとおる宿道、
首里城を基点に地方に伸びる琉球王朝時代の公道を太平橋に向かう途中にある拝所である。

<末吉宮(すえよしぐう)>
琉球沖縄県)地区に入って初めて本格的神社に参る。
太平橋の近くの郵便局の角を左に折れ、直ぐ右の細い山道をのぼる。
大きな墓がいくつも右側にある。かなり細い山道で木々に覆われ暗い。
途中から少し広く石が敷かれた道となる。ようよう末吉宮の入口を示す石の碑まで辿りつく。
心配したとおり道の途中にも石の碑のそばにも「危険、ハブに注意」の看板が立っている。
両側の木が覆う石の細い参道を登ると社務所にたどり着く。
社務所の上にヨーロッパの城のようなトンネルのある石組があり、石の急な階段の上に拝殿と本殿が鎮座する。
かなり特異な景観である。しかし、明らかに神社が鎮座する霊地である。
沖縄では昔からの御嶽に申し訳程度に鳥居をつけたものが多い。
それらは鳥居は付いているが明らかに琉球の御嶽、つまり琉球の霊地である。
しかしこの末吉宮はあきらかに神社の在るべき霊地を感じる。
尚泰久の時代(1456年)天界寺鶴翁和尚が熊野三所権現を勧請し、祀った。
琉球王朝時代には琉球王が正月、5月、9月に参拝し、元旦には役人321人が参拝していたと末吉宮のパンフレットにある。
このような琉球に遥か昔からある御嶽とは別の大和の正式の神社もあるはずと思っていたが、琉球本島にやはりあったのだ。

昼食:石畳の道ちかくにある「いろは庭」
飲み:ギネスとキルケニーを飲ませるバーを県庁近くに発見。
   いつも行く新宿の店同様、ギネス2、キルケニー1を猛烈なスピードで飲む。
   次に、夕食を兼ね、歩いていけるバス停農林中金前の近くにある「味まかせ けん家」で生1、焼
   酎1を飲みながら多量につまみを食す。うまい。お勧めの店。
   バスにて帰る。

写真:
園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)>
・玉陵(たまどぅん)>
・石畳の道
末吉宮(すえよしぐう)