DONのヨット暮らし

Mais ou sont les neiges d'antan?

村上春樹訳グレート・ギャツビー

イメージ 1

2010.4.16(金)
今日は村上春樹1Q84 Book3発売の日だ。テレビニュースのトップに取り上げられ、かしましい。そういう私もbk1に今日発注するつもりだが。
Book1,Book2:
http://blogs.yahoo.co.jp/sa3307/58810479.html

村上春樹訳のグレート・ギャツビーを、きのう読み終わったところだ。
素晴らしい。読みながら常に緊張感が続く。今まで読んでいたグレート・ギャツビーとは違う本だ。別の物語だ。
ギャツビーがニックの家でディジーに再会する場面で、今までは何て書き方なのだろうと思っていたが、村上春樹訳で始めて期待通りの心の動きと情景を味わうことが出来た。

アメリカ文学では若い時、ヘミングウウェーを愛読し、ヘンリーミラーやダレルを楽しんで来た。スコット・フィツツジェラルドの名前を知ったのは愛読していた移動祝祭日の中であった。特に読んでみることもなかった。
30年ほど前、岡崎さんの家で2人のアメリカ人大学院生と専門、卒論の話題になり、研究テーマはPoeなんかですかと私の愛して止まないAnnabel Lee の作家を挙げる。
若いアメリカ人の回答でPoeはあまりにも古典すぎるとのことだ。大変な賞賛と共に挙げたのがスコット・フィツツジェラルドであった。ここで初めてスコット・フィツツジェラルドが現代アメリカの代表的作家であることを知ることとなった。

村上春樹の本には度々、スコット・フィツツジェラルドが出てくる。翻訳も多い。いつかは、60才過ぎになったらグレート・ギャツビーを訳せるようになるかも知れないと書いていた。それ程、重要な作家なのだ。
ところが、私は村上春樹の短篇翻訳はいつも、関連して書かれた解説の方を面白く読んだ。
グレート・ギャツビーを他の翻訳で読んだがどこがそれ程素晴らしいのかまるで解らない。
ちっとも面白く無いのだ。元の本が時代に残る物をもっていれば翻訳はまずくても必ずその本質は伝わるものだ。しかし、それが感じられないのだ。
今回解ったのはグレート・ギャツビーの良さは言葉の翻訳だけでは伝わり難い種類のものだということであった。

グレート・ギャツビーの最後、
So we beat on,boats against the current,borne back ceaselessly into the past.
を1988年発行、ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブックのロックヴィル巡礼では

このようにして我々は絶え間なく過去へとひき戻されながらも、寄せくる波に向かって、その舟を力のかぎりに漕ぎ進むのである。

2006年のグレート・ギャツビー訳では

だからこそ我々は、前へ前へと進み続けるのだ。流れに立ち向かうボートのように、絶え間なく過去へと押し戻されながらも。

と変化している。心を込め、心血を注いだ翻訳なのだ。
久しぶりに名作を読んだ。
boatはboatsと複数なんですね。