DONのヨット暮らし

Mais ou sont les neiges d'antan?

海の底が透けて見える

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2014.7.28(月)
6時ごろ船を着けた直ぐ後の小舟に漁師さん。
挨拶をすると、そこは船が入ってくるので、少し前に移動した方が良いと教えてくれる。
即、移動。

きのうは朝まで、南の強風と高波で海は濁っていた。
今朝起きて海を見ると海底が透けて見える。
雲一つ無い晴天。穏やかな海況。

知夫里島ではフェリーが一番大きな町である知夫港では無く、
島の反対側の来居(くり)港に入る。
あまり暑く無い時と午前中にどんな所が見に行く。
歩いて20分ほど。
民家も殆どない単に、フェリー発着所であった。
ただ、観光案内所などフェリー乗り場の施設がある。
風呂に入れる所はあるか聞いて、ウォシュレットを使わせてもらって帰る。

帰り道に「河井の地蔵さんの水」がある。
十分に飲ませてもらって、ペットボトルにも入れる。
島の住民が万病に効く霊泉として大事にして来た湧水だ。
どんな時にも途絶えることなく水をほとばしらせている。

日が昇ってくると日差しの下では居られない程暑い。
しかし、日陰、船内では涼しい風が吹き抜け爽やか。湿気が無いようだ。

ここでは外食は夜、焼き肉屋が1件あるだけ。
いつもの様に昼を船で食べる。

雲が無くなり、直射日光下では猛烈に暑い。外出は無理。
直ぐ目の前の建物にある郷土資料館に行ってみる。
知夫里島が縄文、弥生、古墳時代から栄えていたことが発掘物で良くわかる。
ただ、それ等がたまたまの豪雨に寄る崖崩れで発見された横穴群で掘り出されたりしている。
知夫里の本格的発掘調査が望まれる。
そこいらじゅう遺跡だらけなのではないだろうか。
いずれ、知夫里及び隠岐の古代ブームがやってくると思う。

3時半過ぎになったので、少しは楽かと隣の港、仁夫(にぶ)港を目指す。
直射日光はまるで衰えず、約3~40分炎天下を歩く。大変な暑さ。
知夫は江戸時代、回航船の風待ち港として多くの船が集まった所だ。
その帆船が多数集まったのは知夫港では無く、隣の仁夫港なのだ。
かって後醍醐天皇は知夫に上陸したのも仁夫港。
知夫港にある式内社、天佐志比古命神社も江戸時代に仁夫から遷座されている。
港の手前、山の上から仁夫港を眺めると確かに静穏だ。
広い港の入口は港に蓋をする様に大小の島が並んでいる。
街中を散策してみるとかっての繁栄を偲ばせる古い屋敷は一軒もない。
しかし、門がついたかなり大ぶりな住宅があったり、
全般的に家が大きく整然としている。
歴史のもたらす文化だろう。
かって後醍醐天皇が上陸した場所などを確認。
また、暑い日差しを背中に受けながら艇までもどる。
結局、艇に戻るまで日差しを受けっぱなしであった。


写真:
・東の山の端から昇る知夫港の朝日。7時1分。
・朝日をあびる知夫の森と家々
・艇の後から海底を見る。深いのに浅く見える
・「河井の地蔵さんの水」万病に効く霊泉
・やしろ。いたるところにあります。
・仏たち。いたるところにあります。
・仁夫港
・仁夫港入口。島が港への波風を塞いでます