DONのヨット暮らし

Mais ou sont les neiges d'antan?

今日は仁尾の隣町、観音町を探索

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201.9.1(木)
朝7時25分に艇を出て、今戻りました。18時40分。
今日は仁尾の隣町、観音町を探索。
あー、仁尾は3、4、日といわず、一週間は滞在したい所だ。
隣町、観音町も実に奥の深い町で、自然の景色はすこぶる素晴らしい。
居て、実に気持ちの良いところだ。

仁尾庁舎前から7時39分のバスに乗る。
目的地は式内社高屋神社。
どこで降りたら良いかはバスの運転手に聞いてくれと言われ聞く。
運転手、知らない。役所で聞いたうる覚えのバス停を言って降りる。7時53分。
降りたところで、近くの人に聞くと、丁寧に道を教えてくれる。
山を登りしばらく行くと、高屋神社。参拝。
でも、ここは本来の高屋神社では無い。
説明板によると
延喜式神名帳(平 安時代)に「讃岐国刈田郡高屋神社」とあり、
 延喜式内社讃岐 二十四社の一社である。
 この社は当初稲積山頂にあったのを 一六〇〇年頃に、山の中腹に移し、さらに一七六〇年頃に山麓 に移したが、
 里人はその崇をおそれ、一八三一年に山頂の旧地 に再び本殿を造営した。
 山の名をとり稲積社とも呼んでいる。」
つまり、山頂に本殿があります。
登りました。途中まで車も通れる道。それが途絶えると石の細い道。
頂上まで上る急な石道はかなりの労力を要す。
休まず、一気に登る。ハードでした。
最後の石段がまた、長い、急。
ようやっと山頂にたどり着いて9時9分。1時間20分ほどで辿りつく。

山頂の境内から眼下に観音寺町と海、山々が見下ろせる。

参拝後、同じく石の道を下る。下りきったところでバスの時間を見ると10分ほど前に出たばかり。
あとは3時間後。私はこういう場合、あまりメゲナイ。そうか歩くしかないなと考えが切り替わる。
地図を頼りに歩き出す。途中で道 
を聞くと、「歩いていくんですか?」と聞かれる。
私はこの「歩いていくんですか?」を何度聞いたことだろう。
まー、歩いていきました。観音寺の駅まで。
11時半ごろついた。バス停を降り、山に登り、下り、歩いて、全部で3時間半ですね。

次は式内社名神大粟井神社(あわいのじんじゃ)。
讃岐の国には式内社が24ある。
その内、名神大は3社。粟井神社はその内の1社。
バスの時間合わせなど、色々調べたがどうしても行き様が無い。
私は是非、参拝に行きたかったが、これはダメだとあきらめていた。
でも、観音寺駅の前の橋を渡ったところにある観光案内所で何かうまい行き方がありませんかねー、と聞いたところ。
ありました!この観光案内所では自転車を貸し出しているのです。
自転車で行けますか。行けますよ。
6~7km位か。良しやってみよう。

先ずは腹ごしらえ。讃岐なんだからと、教えてもらったうどんやでうどんを食べる。

食後すぐ出発。
広い歩道の所もあったが歩道が無い道も長く続く。
最後に登り。自転車を降りて押す。
辿りつきました。
粟井神社参拝。
御朱印拝受

観音寺前まで戻る。
ところで観音寺町と名づけられた、その観音寺本体を未だ知らない。
これも道を聞きながら辿り着く。
第68番札所神恵院・第69番札所観音寺が広い敷地の中に祭られている。
それぞれの本堂の前で、白い服を着たお遍路さんが長くお経を読んでいる。

帰りにチラッと見えた大鳥居まで行ってみる。
川に沿って小山がある。川に沿って琴弾(ことひき)公園。
小山全体が琴弾(ことひき)神社と解る。
どんな所かかと広く立派な石段を登り始める。
あー、これが思惑と大変な違い。
いくら登っても石段が尽きない。これはちょっと、ハードでした。
拝殿、本殿とも規模が大きく立派。
おそらく、江戸時代、藩主から重要な神社として扱われたと思われる。
参拝。

これにて、本日のアレコレ散策の終了となりました。
自転車を返したところでバス便を調べてもらったところ、今出たところ、次は3時間後。
そこで、JR観音寺から電車にのり、仁尾に近い詫間駅まで行く。
詫間からバスに乗り、仁尾庁舎前で下車。振り出しに戻る。
食材を若干補給し、艇に戻る。

今日は一日、足を良く使ったなー。

写真:
・観音寺町の元となった第69番札所観音寺、本堂
・本堂の額
・山門。第68番札所神恵院も記載されている
・琴弾(ことひき)神社拝殿
・本殿
義経が平家追討を祈願して、この木の鳥居と神馬「望月」を奉納した
・参道の鳥居は承応2年(1653)丸亀城主山崎虎之助が寄進したもの