2022.10.2(日)
滝尻王子宮 十郷神社(たきじりおうじぐう じゅうごうじんじゃ)
とお聞きし、今日参拝に訪れた。
世界遺産説明板
自然石の古い神社碑
参道、拝殿
本殿
後鳥羽院の歌。
まずは滝尻王子について。
滝尻王子は、富田川(かつては岩田川と呼ばれた。岩田川は、中世の熊野詣のメインルート中辺路を歩く道者が初めて出会う熊野の霊域から流れ出ている聖なる川で、熊野詣の重要な垢離場のひとつ)と石船(いしぶり)川の合流点にあり、「滝尻」の名は、石船川の急流が富田川に注ぐ滝のような水音からきたといいます。
熊野九十九王子のなかでもとくに格式が高いとして崇敬されてきた「五体王子」のひとつで、熊野の霊域の入り口とされたとても重要な場所でした。
後鳥羽院の2枚の懐紙に書かれた歌
1.後鳥羽上皇(1180~1239)の歌2首
詠二首和謌
山河水鳥
おもひやるかものうはけのいかならむ しもさへわたるやま河の水
上記の歌が後年、院がなくなった隠岐の島の石に刻まれ、滝尻王子にたてられた。
たびやかたよものをちばをかきつめて あらしをいとふうづみびのもと
熊野懐紙
24年の在院期間のうちに28回もの熊野御幸を行った後鳥羽上皇(1180~1239)。その熊野御幸の特色として、道中、宿所となる王子社などで神仏を楽しませるために和歌の会が度々催されたことが挙げられます。
その和歌会に参加した人々が自分の詠んだ歌を書いて差し出した自詠自筆の和歌懐紙を熊野懐紙(くまのかいし)といいます。現存する熊野懐紙とその歌の数は35枚、70首。和歌会の催された年月日、場所、歌題によって7つに分類することができます。
- 正治2年(1200)12月3日 切目王子 「遠山落葉、海辺晩望」…11枚22首
- 正治2年(1200)12月6日 滝尻王子 「山河水鳥、旅宿埋火」…11枚22首
- 年月日未詳(正治2年と推定) 藤代王子 「山路眺望、暮里神楽」…3枚6首
- 年月日未詳(正治2年と推定) 場所未詳 「古谿冬朝、寒夜待春」…2枚4首
- 年月日未詳(正治2年と推定) 場所未詳 「行路氷、暮炭竈」…4枚8首
- 建仁元年(1201)10月9日 藤代王子 「深山紅葉、海辺冬月」…3枚6首
- 建仁元年(1201)10月14日 近露王子 「峯月照松、浜月似雪」…1枚2首
正治2年12月6日滝尻王子「山河水鳥、旅宿埋火」11枚22首
沖ノ島でその多彩なじんせいを終えた場所を訪ねている。
現天皇が皇太子時代に参拝された。
富田川(かつては岩田川と呼ばれた)
石船(いしぶり)川の急流が富田川に注ぐ