五ヶ所浦3
昨日からズット雨。9時過ぎから風雨ともに強い。予報では午後からは晴れる。
1時ごろようやっと雨があがる。強風波浪注意報が出ている。もやいをなおしているとすぐ近くにある床屋のご主人が来て水はあるの、いつでもとりにいらっしゃいと声をかけてくれる。あいがたい。ありがとうございますとお礼。
昨日の店で昼食をとろうとすると休み。食料のみをスーパーで仕入れてくる。この地のみかんを食べたくて農協の大きな事務所があるので顔を出したら別のところを教えてくれる。そこを探しているうちに町の様子に明るくなる。湾沿いに走る街道を左に6~7分行くとローソンもあるし街道筋によくある中華料理屋、レストラン食堂、喫茶の店などの存在が解った。町から見るとはずれなので街道を走る車客用の店である。それとは別に突然伊勢現代美術館の誘導板がいくつもあり15分ほどでいけるようなので、散歩がてら湾に沿った山の中の道を上っていく。少し登ってから次は別の湾へおり海の入り江に面して美術館が建っていた。入ってみると喫茶コーナーがあり、皿や湯のみなど若い作家の陶器が展示と販売をやっている。中の作品を見る料金は650円。現代美術とは言えない作家の展覧会であったので入るのはやめる。また係留場所まで戻り、神社へと向かう。五ヶ所神社。帰ってくると床屋のおじさんに会う。ポリタンと台車を持ってもらいに行く。少し話す。この辺は漁師町だったんですかとか聞くと。そう、昔は大変な賑わいの場所だった。とのことであった。真珠で大変の景気だったのだ。確かに大きな旅館のあともある。かっては観光客も大勢来たのだ。かってを懐かしむような、現在が残念であるような風であった。地元の漁師さんともチョッと話したが、御木本さんが真珠を作り出したのは鳥羽ではなく、この五ヶ所湾だったのだそうだ。対岸の少し高くなったところに御木本御殿と呼ばれるたてものがあったそうだ。御木本氏の出身地が鳥羽なので真珠といえば鳥羽になってしまった。と言っていた。
写真:五ヶ所浦に舫うECHO POINT ヨット係留場所、正面が海光丸が係留した場所、右赤いおしりが我が艇。五ヶ所神社
1時ごろようやっと雨があがる。強風波浪注意報が出ている。もやいをなおしているとすぐ近くにある床屋のご主人が来て水はあるの、いつでもとりにいらっしゃいと声をかけてくれる。あいがたい。ありがとうございますとお礼。
昨日の店で昼食をとろうとすると休み。食料のみをスーパーで仕入れてくる。この地のみかんを食べたくて農協の大きな事務所があるので顔を出したら別のところを教えてくれる。そこを探しているうちに町の様子に明るくなる。湾沿いに走る街道を左に6~7分行くとローソンもあるし街道筋によくある中華料理屋、レストラン食堂、喫茶の店などの存在が解った。町から見るとはずれなので街道を走る車客用の店である。それとは別に突然伊勢現代美術館の誘導板がいくつもあり15分ほどでいけるようなので、散歩がてら湾に沿った山の中の道を上っていく。少し登ってから次は別の湾へおり海の入り江に面して美術館が建っていた。入ってみると喫茶コーナーがあり、皿や湯のみなど若い作家の陶器が展示と販売をやっている。中の作品を見る料金は650円。現代美術とは言えない作家の展覧会であったので入るのはやめる。また係留場所まで戻り、神社へと向かう。五ヶ所神社。帰ってくると床屋のおじさんに会う。ポリタンと台車を持ってもらいに行く。少し話す。この辺は漁師町だったんですかとか聞くと。そう、昔は大変な賑わいの場所だった。とのことであった。真珠で大変の景気だったのだ。確かに大きな旅館のあともある。かっては観光客も大勢来たのだ。かってを懐かしむような、現在が残念であるような風であった。地元の漁師さんともチョッと話したが、御木本さんが真珠を作り出したのは鳥羽ではなく、この五ヶ所湾だったのだそうだ。対岸の少し高くなったところに御木本御殿と呼ばれるたてものがあったそうだ。御木本氏の出身地が鳥羽なので真珠といえば鳥羽になってしまった。と言っていた。
写真:五ヶ所浦に舫うECHO POINT ヨット係留場所、正面が海光丸が係留した場所、右赤いおしりが我が艇。五ヶ所神社