DONのヨット暮らし

Mais ou sont les neiges d'antan?

ハウステンボス

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2007.7.28(土)
ハウステンボスのまるで動かない海面で静かな朝を迎える。今日も日の出から太陽が照りつけるかと懸念したが、朝早くは雲がかかっている。暑くならないうちにとハーバーにいる利点、豊富な水でデッキを掃除する。真水で洗いたかったカッパを外に出して洗う。

水を使った清掃を気持ちよく終え、紀代子に電話。9時半。歯の調子が悪く歯医者に通っているとのこと。

10時ごろから晴れ渡る。猛烈な暑さ。それでも佐世保ってどんな街なのだろうと佐世保散策に行きたいので昼食後、自転車を出し、ハウステンボス駅まで行き、JRで佐世保まで行く。20分で着く。観光案内所で資料をもらう。インターネットで調べた情報がペーパーで受取れる。多くの外人用バーがあり横須賀に似ている。
佐世保は近代的都市であった。ある面、長崎より都市的である。港に沿って自衛隊の基地がある。隣接してアメリカ軍の基地がある。

私にとっては佐世保と言えば43年ぐらい前の全学連によるエンタープライズ闘争である。
私も野坂昭如の言う、心情三派であった。
ピーカンの猛烈な暑さの中、観光案内所で闘争の場は昔の軍艦橋までと聞き40分ぐらいかけて歩いて行く。写真を撮ってあまりにも暑く、帰りはタクシーに乗り、駅までと告げる。車の中で佐世保闘争の話になると今は直して新しくなっているが闘争が行われ多くの人がその戦いを目にしたのは平瀬橋だという。私は中学生だったという。いそいで車を降り、再度闘争の現場に立つ。橋の向こうに自衛隊基地があり。橋をわたって左側一帯は瀟洒な白い建物が建つ米軍基地が広がっている。
かっての全学連闘争の時代に思いを馳せる。
当時の若者の一人として闘争に接触することにはなったが、私の関心は別のところにあった。深入りはしなかった。
あの懐かしいお茶の水駿台予備校に通っていた時も、大学を卒業するころもいつも大学闘争が続いていた。

駅まで戻り、駅に隣接した大きなスーパーで食品その他を仕入れる。5300円。缶ビール3缶700円。お茶1000円を買ったとはいえ、何でこんなに買うのだ。

帰りの電車で缶ビールを飲む。ハウステンボスに戻り、夕食はピザとスパゲティの店がおいしそうだと出かけると順番待ちの人の長い列が続いている。即もどり牛の炒め物を作ってスパゲティをつくり食べる。炎天下で歩いた後、すきっ腹にビールを飲みシャワーも浴びずに寝る。
炎天下での行動はやめよう。

写真:酷暑で画像がもやっている平瀬橋。この橋を現在でも平常心では眺められない人が多数いるはずだ。