DONのヨット暮らし

Mais ou sont les neiges d'antan?

遥か、いにしえよりの聖地、弥山(みせん)

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2007.9.22(土)
午後、弥山(みせん)にのぼることが出来た。
宮島では厳島神社があまりにも有名でそちらだけを見て帰る観光客が大部分だ。
ところがもう一つ重要なところがある。厳島神社の背後を高い山が囲んでいる。
宮島そのものが聖地であるがこの背後の山、弥山(みせん)が聖地となっている。
登って見たかったところだ。この弥山は厳島神社とともに世界遺産となっている。

山頂近くまでケーブルがあり、そこから頂上まで登りまた戻る聖地巡礼の道となっている。
弥山は弘法大師が806年に開基して依頼、平清盛や伊東博文などの信仰を集めたと案内にある。

霊火堂:
弘法大師が修行時代に使った火が1200年経た今も燃え続けているお堂。
その火は平和公園の「平和の灯火」の元火でもある。

弥山本堂:
唐から帰国した弘法大師が100日間の求聞持の修法を行ったところ。

三鬼堂:三鬼神を祭る古刹。伊藤博文の信仰が厚かった。

なお、本堂と三鬼堂の額は伊東博文の自筆
建物類はみな50年も経っていない。
聞いてみると台風等で皆立て替えられている。
また本来は霊火堂と本堂は一体であった。
また本来の火は本堂の横でお坊さんによって守られている。とのことであった。

今は仏教の聖地という展開になっている。
しかし、私が頂上まで登り頂上付近の巨石郡を体験して感じたのは、
仏教渡来以前から日本人が持っていた神の意識からくる聖地、霊地であった。

今日の12時までが宮島のポンツーンの期限だ。
弥山に登りたく夕方までここにいることに決め、千畳閣から急いで戻り、係留方法を検討する。
赤鳥居の向こうにあるという町のポンツーンに移動するか、
もう一つがこのポンツーンに近いところにアンカーで係留しテンダーで移動するの二つがある。
朝早く町のポンツーンを見に行ったが遠い。今のところは非常に便利が良い。
そこでアンカーで沖に係留することに決定。
宮島ヨットクラブの艇の北側、赤い小さな鳥居がある前に係留する。以前外人がやはり沖留めしていたというところ。
アンカーを風上、風下と2本打つ。
風下のアンカーがペラにからみもぐって外したりしている内に1時になってしまう。急いで昼飯を取り、弥山に向かう。

弥山を降りるころには今日は移動しないで、宮島に泊まることに決める。
急に東の空を黒雲が覆い始めたので急いで戻る。予想どおりテンダーで船に戻ったころより小雨が振り出す。
風、波も強まり、テンダーを急いだ揚げてポンツーンに移動の為、二つのアンカーを揚げる。
やはり観光地のせいで泥は黒く汚れている。
ポンツーンにつけアンカー、チェーン、ロープの清掃と固定をしているときに阿部さんから、
夕食が未だならこれからモーターボートで行くので一緒に行きましょうと誘いの電話。OK。
片付け終わるころECHO POINTの横に着く。

阿部さんおなじみのお好み焼き屋の鉄板の前で生2、お好み焼きを食す。
阿部さん料金を受取らない。お風呂の方を払ってくださいとご馳走になってしまう。
二人分千円を払い、歩いて10分ぐらにある福祉センターの風呂に入る。

港に戻ると雨、風、波が強くなったので少し休憩し、収まったところで阿部さんは船で20分ぐらい
、対岸の廿日市のマリーナまで帰る。
この宮島にいられるのも阿部さんおおかげだし、すっかりお世話になったしまった。
いろりろありがとうござしました。こちらがしなければならないの反対にご馳走になってしまった。

写真:
・弥山山頂の巨石
・弥山山頂の巨石
・弥山山頂の巨石
・弥山山頂の巨石
・霊火堂
・本堂
・弥山山頂からの眺め
・弥山解説
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・沖留めするECHO POINT