2013.9.21(土)
朝5時半、次第に夜があけつつある。
月は東に日は西にの反対で西の黒い山陰の上に仲秋の名月から2日目の満月が輝き、
東の空は次第に赤くそまりつつ、未だ日は昇らない。
晴天。雲ひとつ無い。
鞆の浦の沖留め。この港の自然の形なのだろう、引き波は殆ど立たず、静かに船は浮かんでいる。
今、御茶を飲みながらごはんの支度。
おみおつけは作り、次に、玉ねぎと茄子とカボチャを炒めている。
静かな朝。5時41分。
朝食後、テンダーで給油桟橋の根元に移動。
トイレを済まし、街を散策。
8時から12時、街全域を4時間で見て回る。
海岸すぐに小山があり、1600年ごろ毛利氏が築いた鞆城の跡。
今は鞆の浦歴史民俗資料館になっている。
幸い「八朔の馬だし」と呼ばれる、男の子出生を祝いの展示を見ることが出来た。
先ず、鞆の浦の地理的特徴。鞆の浦は瀬戸内海の中央に当たり、上げ潮と下げ潮の分岐点。
ということは同じ時刻に東は下げ潮、西は上げ潮が始まるということなのだろう。
また、湾は、大きく山に囲まれ、瀬戸内海でも特に静穏な港。
その為、江戸時代より北前船の寄港地として、風街、潮待ちの港として、
大勢の朝鮮通信使集団の寄港地として、非常に栄えた港であった。
芭蕉の句碑、万葉の詩碑がある。
万葉集には鞆の浦を題材にした八つもの歌があるそうだ。歴史の古さ。
鞆の浦の街には江戸時代、明治時代、大正時代の古い商家、建物、社寺などが多数残っている。
街を散策することで昔のあれこれの懐かしさを味わう事が出来る。
午後は遊覧船に乗り、仙酔島(往復240円)へ渡り、国民宿舎の風呂へ(525円)
写真:
・6時8分、東の低い山影の上に昇る鞆の浦の朝日
・湾の中央に沖留めしているECHO POINT
・鞆の浦のシンボル、常夜燈
・ヨットマンには知られた澤村船具店、店に入ったが、上品な老婦人が店番しているだけで、
買う様なものは無かった
・保命酒屋。1863年(文久3年)尊王攘夷を主張する三条実美ら7人の公家は、公武合体派に
追われ、都落ちした。一行はこの保命酒屋に立ち寄る。国の重要文化財。
・かっての豪商
・対潮楼・善福寺に掲げられた「日本第一形勝」の書。朝鮮通信使が日本一の景色とほめたたえた
・対仙酔楼。
・「八朔の馬だし」男の子出生を祝いに、等身大から小型のものまで白い馬を作り引き回す。
この馬は鞆の浦で作られたものだろうか。非常にレベルの高い製作物だ。京都でか。