DONのヨット暮らし

Mais ou sont les neiges d'antan?

隠岐島前 西ノ島あれこれ

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2014.7.21(月、祭日)
朝起きてデッキにでると雨が降った様な、夜露。
朝に食事をおわり、7時15分。
晴れの様だ。暑くなるな。

フェリーの着く別府港が今いる西ノ島の表玄関だ。
バスで別府港へ向かう。
島の全容を把握するため、観光案内所に行き、もらえるパンフレットを全て手に入れる。
これが新しい港に入った時の私のいつもやることだ。

今回は港でバスを降りた前に「西ノ島ふるさと館」という資料館があったので先ず入る。
驚いたのは歴史でならった日本の最初の貨幣、和同開珎が西ノ島で見つかっている。
珍しい和同開珎だが、さらに珍しい和同開珎の銀銭が発掘されたとレプリカが展示されていた。
さらに古く、石器時代弥生時代の遺跡も多く、古墳も多数発見されているとのこと。
住みやすいところだったのだ。

この資料館の直ぐ後に後醍醐天皇に関係する諸物があると係の人が外まで出てきて説明してくれる。
そこで、すぐそちらに向かう。
後醍醐天皇後鳥羽院の90年ほど後に西ノ島に流された。
その御所の跡が史跡として残されているのだ。

階段を登り、今となっては山の中の御所跡に至る。
続いて、直ぐそばにある黒木御所碧風館へ。
隠岐での後醍醐天皇関連の資料を展示している。
天皇、皇太子、その他皇族も御所跡とこの碧風館に来ていると知る。

予定していなかった後醍醐天皇関連の情報と史跡に触れた後、
調べてあった直ぐそばの式内社、海神社へ。参拝。
丁度、祭祀を実施中で太鼓をたたいていた。
神社は海に向かっており、海の先には対岸の中ノ島が見える。

観光案内所に移動し、諸資料を貰う。
食材仕入れの為、西ノ島の一番大きなスーパーの在所を質問。
当然、一番大きい町である別所内と予想していたが、
なんと、昨日見て置いたスーパー、ユアーズが一番大きいとと解る。

昼になったので、食事処マップをもらう。
実際の店の感じをチェックしながら、アレコレ探す。
一番まともそうな磯四季に入ったら、本日は満員。
次に「西ノ島ふるさと館」と同じ建物にある「ふるさと隠岐のだいどころ、はな」へ。
これが結構正解だった。
ごはんを大盛りで頼む。食べている時におばさんがテーブルに来て、
ご飯足りましたかととなりの若い客に聞いている。
まさか、私が大盛りを頼むとはおもわなかったのだろう。

港のそばに独立した山があり、そこに立派な八幡様、参拝。
山全体が神域。

次は、西ノ島第二の町、浦郷へ、といっても町は別府と浦郷の二つしかないが。
一応町の様子をチェック。
かなり小さな町。
ここでは神社、式内社名神大社、由良比女神社が有名。
この神社の前の浜に遥か昔から信じられないほどのイカがやってくる。
手づかみでいくらでも取れるほどだ。
今は取り過ぎと防波堤設置、などでそれ程取れなくなった様だ。
この様な不思議な現象は日本ではもう一か所あるのもだと書いてある。
不思議な現象なのだ。

少ない本数のバスを長い事待って、帰路。
途中で大型スーパーに寄ってから艇に戻る。恵比寿あり。
今日も風呂へ。ありがたいことだ。

写真:
・東の山の端から美田湾に太陽が昇る。6時21分。
後醍醐天皇の黒木御所跡
・別所港の直ぐそば、小山にある立派な八幡宮
八幡宮にある立派ま土俵。相撲が神事であることが隠岐で良く解る。
 日本人全般もNHK相撲協会もこの最重要なことが解って無い。
・ポンツーンに留めさせていただいている鶴丸の近く、後醍醐天皇、御腰掛の石。
 後醍醐天皇は監視の目をのがれ、先ず美田湾から脱出の為の船を出した。
・穏やかな美田湾の夕ぐれ。19:10