DONのヨット暮らし

Mais ou sont les neiges d'antan?

放哉が住んでいた家に行ってきました

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

2016.9.8(木)
夜中、30分ほど稲光が続いた後、豪雨。
天気予報で盛んに言っていた台風崩れの低気圧に寄る豪雨だ。
夜中の3時半、あまり激しい雨なので、真っ裸になってデッキに出てシャワー代わりに体を洗う。
晴天続きで艇があったまってしまって、体の温度も高止まりしいて暑い。
体を洗えて、体温も冷やせた。
ここの所、艇内温度は夜、朝でズット29度。今(9時)も29度。一旦止んだが、今は又雨。

解りました。土庄は放哉終焉の地でした。
住んでいた家を尾崎放哉記念館とし、中で放哉の書簡その他関係書類、書籍を展示しています。
皆さんも資生堂のコマーシャルで自由律俳句の山頭火の名は知っていると思います。
放哉は5、7、5にとらわれない自由律俳句作家、山頭火と並び『漂泊の俳人』として知られています。
明治時代に一高、東大と進み、法学部卒で保険会社のエリートとして社会生活をスタートします。
しかし、ある時から、家族もその他全てを捨てて、漂白の俳人としての人生送ります。

驚いたのはその死の年齢です。私は放哉というと老人と勝手にイメージしてましたが、
ナント、42才でなくなっていました。

いれものがない両手でうける
咳をしても一人

天気は不安定。
午前中は雨でも午後は晴れると言っていたが、午後も急に黒雲、雨。
買い物の帰り、2度ほど雨宿り。

夕方は風呂へ。
最初、100円違いなので山の上にあるホテルに行こうと階段を登っていったが、
人気が丸でない。不気味な程だ。中止。
土庄東にあるスーパーが経営するオリーブ温泉へ行く。700円。
9年前だからすっかり忘れていた。スーパー銭湯風かと思っていたが、悪く無い温泉だ。

写真:
・放哉終焉の地。今は尾崎放哉記念館
・図書館の隣に、自筆原稿その他を収納した資料館があります。 
 閲覧できるので行ったところ、図書館が休館でみること適わず。
・西光寺。放哉に家と仕事を世話したのは第58番札所西光寺住職
・西光寺本堂の額
・後ろの石山にある西光寺奥の院、三重塔。