DONのヨット暮らし

Mais ou sont les neiges d'antan?

呼子港にやって来ました

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2017.7.27(木)
呼子(よぶこ)港にやって来ました。此処は佐賀県
初めての港です。
何故か呼子に行ってみたくなったのです。
海図を見ると、狭い入り口を入ると細長く港が入り込み、余程平穏な港では無いかと思わせる。

ネットにも呼子港のことは断片的にしか情報が無い。
港に入り、いつもの様に最奥まで行き微速で港を一巡。
着けるところが無い。
結局、最近出来た観光客用の売店温浴施設の後ろ、港入り口のそばの岸壁に槍着け。

呼子の港を海岸沿いに一番奥まで歩いて行ってみる。観光案内所で資料を貰う。
帰りは海岸から一歩入った商店街を歩いてみる。

神社の説明など見ると、
呼子港は風待ち、潮待ちの重要な港として古代から大陸への経由地であり、
中世には松浦党の基地、近世には西海航路の重要な港でした。
全国各地から千石船が来泊し、交通交易の中心として栄えたとある。
江戸時代の絵図に港が大きな帆船でうまっているのが描かれている。

驚いたのは呼子は鯨漁で大変有名。江戸時代唐津藩の財政を支えていたことだ。
この鯨漁の頭目が名字帯刀をゆるされた鯨組主中尾氏でその屋敷が保存され公開されている。
呼子と言えば今はイカだが、本来、流通と鯨で栄えた呼子を知る必要がある。
「鯨組主中尾家屋敷」を是非見学してみて下さい。なかなかのモノです。

写真:
・初め着けた温浴施設の裏、港に一番近い港。
 外のうねりがまともに入る。
 全面的に空いている
・散歩に出て港を一巡後もどったら、相変わらず揺れが激しい。
 アンカーを揚げ、港の奥で着けられそうな岸壁を探し、着ける。
・「鯨組主中尾家屋敷」前面
・裏から
呼子台場みなとプラザの中、さかな
・野菜
・泳いでいるイカ

航海:
福岡市立ヨットハーバー→呼子 24.6マイル
メインを揚げ、6時20分、スタート。

一面の霧で陸地はボンヤリしか見えない。

西浦埼北までは北の微風を受け、ジェノア、クローズホールドで快適に走る。
呼子方面に転針してからは、うねりの影響が大となる。
うねりの予報は無かった。
風は弱く、波も殆ど無い、予報どおりの海況であった。
しかし、定期的にかなり大きなうねりが来た。
潮のせいか。

呼子への入港。
右(北)に小さなとんがった小島がある
小島に近くなるころ赤燈台が二つ見える。
左の赤燈台と白燈台の間を入る。

呼子は初めての港。
どこに着けられるか、ネット上にも情報が無い。
いつもの様に、微速で港の一番奥まで行ってみる。

余裕を持って着けられる所は、港の奥には無い。
船だまりは船でいっぱい。

ガラガラに空いていた、入港して直ぐ、左(南)の港の奥、北東岸壁に槍着け。
うねりが入り、かなり船が揺れる。

11時50分、舫い完了。
この港は「呼子台場みなとプラザ」の裏になる。
1時間ほど、着けられる所を探していた。

揺れが激しいので、もう少し奥を探して、移動した。
旅館出雲の手前。
島屋釣具店の前。
ここは空いており、横着けもできる。