ホテル川久
2019.5.13(月)
今日も朝、晴天。
ホテル川久
私は12年前に初めて、白浜に来た。
独り身のころの思い出があり、ついに白浜にヨットで来た。
と感慨を持ちながら綱不知に入って来たら、
なんと!ホテル川久があるではないか。
ここに川久はあったのかと、その邂逅に驚きながら入港した。
川久は今までも無かったし今後も現れることの無い、独自の建築として、
建設当時、大変な話題となった。
新建築でその詳細が紹介され、私も興味を持って読んだ。
素材をヨーロッパ始め、多くの外国から取り寄せた。
素材だけでなく、それを作り建築する各国の一流の職人も日本に呼んで施工させた。
職人技の集積。
私もいつか泊まるつもりであった。
竣工は1991(平成3)年、今から28年前。未だ私も40代。
2007年に初めて綱不知に来た時、既に建築から16年たっていた。
建築後、しばらくして他社に身売りすることとなる。
地元の人の話では痛んだ箇所が幾つも出で来て、修復はうまく行っていないとのことであった。
以後、毎年の様に、綱不知を訪れる様になったが、川久を遠くから眺めるだけ。
それで十分であった。
完全な姿で体験出来てこその建築物と感じる。チョットした傷が大きなダメージとなる造形物と判断している。
私の記憶ではこの建築の主役は女性社長だった。
右手に川久を見ながら綱不知に入港するたび、
手放さざるを得なかった寂しさは、いかばかりであったろうと、その女性社長へ思いが行く。
最も美しかった頃、川久に宿泊した人を最近発見。うらやましい限りだ。
それでこそ価値がある。婦人画報にも10ページに渡って記事が特集されたとのこと。
もう綱不知桟橋にヨットを着けられなくなり、訪れるヨットマンもいなくなる。
記念に川久物語
写真:
・5時12分。綱不知に日が昇る
・14時18分。岸壁槍着け艇からみるホテル川久。綱不知桟橋からはマンションが邪魔して見えない。
・17時48分。四角いホテルでないので、時刻により、光の方向により見え方が変わる。
今日も朝、晴天。
ホテル川久
私は12年前に初めて、白浜に来た。
独り身のころの思い出があり、ついに白浜にヨットで来た。
と感慨を持ちながら綱不知に入って来たら、
なんと!ホテル川久があるではないか。
ここに川久はあったのかと、その邂逅に驚きながら入港した。
川久は今までも無かったし今後も現れることの無い、独自の建築として、
建設当時、大変な話題となった。
新建築でその詳細が紹介され、私も興味を持って読んだ。
素材をヨーロッパ始め、多くの外国から取り寄せた。
素材だけでなく、それを作り建築する各国の一流の職人も日本に呼んで施工させた。
職人技の集積。
私もいつか泊まるつもりであった。
竣工は1991(平成3)年、今から28年前。未だ私も40代。
2007年に初めて綱不知に来た時、既に建築から16年たっていた。
建築後、しばらくして他社に身売りすることとなる。
地元の人の話では痛んだ箇所が幾つも出で来て、修復はうまく行っていないとのことであった。
以後、毎年の様に、綱不知を訪れる様になったが、川久を遠くから眺めるだけ。
それで十分であった。
完全な姿で体験出来てこその建築物と感じる。チョットした傷が大きなダメージとなる造形物と判断している。
私の記憶ではこの建築の主役は女性社長だった。
右手に川久を見ながら綱不知に入港するたび、
手放さざるを得なかった寂しさは、いかばかりであったろうと、その女性社長へ思いが行く。
最も美しかった頃、川久に宿泊した人を最近発見。うらやましい限りだ。
それでこそ価値がある。婦人画報にも10ページに渡って記事が特集されたとのこと。
もう綱不知桟橋にヨットを着けられなくなり、訪れるヨットマンもいなくなる。
記念に川久物語
写真:
・5時12分。綱不知に日が昇る
・14時18分。岸壁槍着け艇からみるホテル川久。綱不知桟橋からはマンションが邪魔して見えない。
・17時48分。四角いホテルでないので、時刻により、光の方向により見え方が変わる。