DONのヨット暮らし

Mais ou sont les neiges d'antan?

高知港

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2006.6.29(木)高知港四国地方整備局高知港空港整備局事務所のポンツーンで朝を迎える。食事と床清掃を終わって7時。薄く雲がかかっているが晴れている。暑くなる予報。台風は熱帯低気圧に変わる予報。一安心。今日は高知の中心地に行くつもり。

i5時門限でありましたが、今9時、鍵の架かった門を乗り越え船に戻りました。
バスで」門限までに戻れそうもないので、いつものことであるが開き直って、ゆっくり酒を飲んでから帰ることに決める。
土佐に来たのに地元で粋鯨を飲まずに帰れるか。司牡丹の本場で飲まずにいるなんて勿体無い。先ず、観光案内所推薦の○○釣りという店に入り、生1、粋鯨1を頼む。生ビールがまずい。其の店の真価を判断できる通しがうまくない。注文おしたものを飲んで、食べて、すぐ会計にすると店が気を使って粋鯨は無しで勘定しますと言う。良印象。叉来るよと言って店を出る。これでやはり、観光案内所なんかに頼るのが間違いで自分の感覚に任せることに戻る。そうすると時間がかかるのが欠点。結論。高知で酒を飲む、呑み助は播磨屋橋のトイメンにある葉牡丹がお勧めです。地元の呑み助、飲み好き夫婦がゆったり好きなつまみを頼み、好きなペースでのんでいるのを見て楽しめます。つまみは実に当地特産も豊富で楽しめます。私は二件目なので生1、粋鯨1司牡丹1、船中八朔(司牡丹なんですね)2だったと思う。つまみはやき鳥2、鯨照り焼き1、跡は覚えていない。
帰りは全く解らないバス路線、市電路線を乗り次、乗り間違え9時には問題なく船に戻りこれを書いている。

今日の一日。バスに乗ると終点がインターネットで探したユニクロのある大型商業施設なので終点まで行く。ユニクロにて下着4、ソックス8、長袖Tシャツ2、購入6000円。はりまやばしまで戻る。はりまあやばしはお江戸日本橋と同じくあわれな状況で元端があったというだけの状況であった。駅に行き観光案内所で資料をもらう。
和菓子について質問するが若いせいもあって良くしらない。
四国なので霊場、お寺については知っているし資料もあるが神社については知らないし、地図にも載っていない。
中心地はりまやばし近辺ので推薦店を物色して土佐藩という大きな店で昼食。そこの年配の人に和菓子屋を聞く。アーケード街を散策しながら、行ってみる。小さい店。城下町にしては和菓子屋が無いですねと聞くと高知は酒の盛んな国で甘いものにはあまり文化が無いとのことであった。
赤い橋を渡って潮江天満宮に参る。大きく立派な神社。祭り前で、植物で大きな還を設置中であった。
額を大きな鳥が背に乗せている初めて見る。狛犬も独特の激しい表情。江戸時代の作。
高知城を目指す途中にあった高知大神宮にも参拝。
天守閣まで登る。帰りに文学館に寄る。紀貫之について調べたかった。
紀貫之は60歳になってから国司として高知に派遣されたのだ。足掛け5年いて帰りの様子を書いたのが土佐日記なのだ。船で京都まで戻るのであるが、ナント私のヨットでのコースと同じであった。紀貫之は高知港から先ず私の行っていない湊へより、その後は室津、甲浦、日和佐と全く同じ港に寄っている後、四国を北上し、大阪に移動し京を目指す船旅である。1000年前に国司という重要な位置にいる人も海路を行ったのだ。陸より安全かつ早かったのだろう。船での移動とは現在の人が考えるよりずっと大昔から極めて盛んだったのだ。移動には帆では無く漕いだのではないかと思うがこれは叉調べてみる。

写真:高知城。石樋が大きく、かつ石垣から飛び出している。日本一雨の多い高知なので、石垣に樋の水が当たらない為の工夫。昔のまま残っている城は全国に14だかあるそうでその内の一つだそうだ。簡素で現代の加工がしてなくて良い。本丸正殿の部屋がこせこせせず、広々として良い。