DONのヨット暮らし

Mais ou sont les neiges d'antan?

外浦(とのうら)港

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2006.9.5(火)朝食後、外浦を歩いてみる。予想に反し、歴史的なものや遥か昔の栄えをしのぶものは無い。外浦は遣明船の正式な港として足利時代には異国文化と文物が行きかう町だった。書物によれば今も空(唐)町などの町名も残っているとのことであった。海と山それに川と山との非常に狭い間に細長く家が続いている。町は清潔で人々も明るくゆったりしている。古い町並みは無く築10~20年程度の普通の家が立ち並んでいる。豪華な家やかっての繁栄を思わせる建物は1件も無い。町の規模は非常に小さく、店舗も無い。駅までは3キロほどでその周りには飲食店もあるが途中は田んぼが多く、車が無いと生活はできない地域である。
古い文化を持つ町には古い神社があり歴史を示してくれる。船を留めた直ぐ前の森に外浦では一番の神社と思われる神社があるが平成4年に再建されている。境内に古い歴史を物語るものは見えない。
油津が室町時代に続き江戸時代、明治時代と栄えたのに対し、外浦は江戸時代に入り外国貿易が長崎に限定されてから以後は回船問屋が立ち並ぶ港となることもなく、明治の材木や木炭、昭和の漁業での華々しい発展の機会には恵まれなかったのか。
不思議なのは漁師が見えないし、漁に行く船も無い。広い漁港のみある。これは近くの漁港に船を全て移動し、漁の荷揚げもその港で行っており、外浦ではもはや漁業をやっていないのではないか。

えー、勝手に外浦ではもはや漁業をやっていないのではないかなどと言ってしまったが、間違いでした。通りがかりの人に聞くと今はカツオ漁で船が全部出ているので一艇もいない。船が帰ってくる季節になればこの港も船でいっぱいになるとのことであった。

昼食と果物仕入れを兼ね、港の入口を見渡せるところにあるバスで5~7分ぐらいのところにあるみちの駅なんごうに行ってくる。安くて新鮮な青いみかんと日本産の蜂蜜(みかん)、ピーマン、いちじくを購入。久しぶりに果物を食す。食事は1200円の(これが一番高い)定食にする。みちの駅は働いている人が一生懸命でかつ置いてある品物、出す食事もリーズナブルプライス兼おいしい。設立当初だけでなくこの良さが続いて欲しい。なんごうも良いみちの駅であったが、残念なことにスピーカーとアンプが良くなく、終始流れる音楽の音が割れて惜しい減点要素となった。言おうかと思ったがあれこら忙しくて言わず。

本日の天気予報:波3m後4m。明日4m

写真:
・みちの駅なんごうから見た外浦港への入口
・泊地のすぐ前にある日之御崎神社
・説明板