DONのヨット暮らし

Mais ou sont les neiges d'antan?

金刀比羅宮に参拝。

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2009.5.21(木)
多度津港から15分でJRの多度津駅に着。
8時40分の発の電車で3つ目の駅、15分ほど、9時前に金毘羅様のある琴平駅に着。
まだ、人がいない。参道の店が戸をあけ掃除をしている。
4~50分ほどで長い階段を登りきって金刀比羅宮本宮の直ぐ下、一番急な階段に至る。
前も後ろも人一人いない。
手水はこの急な階段の下にある。手水で清め、白ハンカチ持参。
後、最後の急階段を一人登り切って本宮のある広い台地に立つ。
服装を改め、参拝。
爽やか。
新しい海上安全の木札を拝受。おととしの10月に来た時受けた古い木札を所定の場所に入れる。
江戸時代から現在までの多様な絵馬が飾られている所に堀江謙一のソーラーボートが奉納され飾られている。説明板に堀江謙一が太平洋単独横断をするに際してもこの金刀比羅宮に参拝してから出発した事が書かれていた。

参拝と同時に楽しみにしていた書院を参観する。この書院は多くの応挙の襖絵があるので有名である。私はおととし来た時、奥の院も公開しており若冲の素晴らしい作品があった。再会したいと思っていた。もう一つ今、田窪恭二がふすまと壁面に絵を書いており、それが実に良い絵で時代を経た名作と並んで恥ずかしく無い昭和の作品と見た。前見た書きかけの絵がどの様に充実、完成しているのだろうと見たかったのだ。ところが状況が違っていた。私が来た時はたまたま奥の院を公開していた特別展示の期間だったのだ。今回は若冲の作品は公開されていなかった。ただ、田窪作品は特に力を入れ公開していた。説明の人もいてあと完成まで3年ほどかかるとのことであった。
残念ながら現在のほぼ完成したと見られる作品はおととし見たものとはかなり違っていた。かなり書き込んであるのだ。以前みた白地のある軽く強い絵ではなかった。残念。このまま行くのか。返す返す残念。
ここも私一人、貸切状況であった。この書院の建築が雄大で実に良い。
応挙晩年の作品は私は好まない。

下まで階段を降り切って時間をみると未だ、10時半過ぎだ。そこで前回は寄らなかった、弘法大師の生誕の地であり、四国八十八箇所霊場の中でも特に重要な寺、善通寺に寄ることにする。
琴平駅から一つ多度津方向に戻れば良い。5分ぐらいか。善通寺の駅を降り、善通寺への行きかたを聞く。歩いて20分程度。ついでに昼食用にうどんの美味いところも聞く。ここは讃岐。うどんの名所だ。
善通寺の広い境内に入って直ぐに弘法大師が幼かったころすでにあった楠が現在もあり巨木となっている。境内を一巡し金堂、御影堂に参拝。

未だ、かなり時間は早い。
城下町丸亀に移動。善通寺駅からは二つ目で多度津多度津から2つ目で丸亀。やはり15分ぐらいか。
ここには風呂がある。観光案内所で風呂の場所を確認すると以前行った風呂はもう閉まっていると別の駅から5分ぐらいの栄楽という銭湯を教えてくれる。ついでにうどんの美味い店を聞くと未だ2時過ぎなのにもう閉まるかもしれないという。未だ腹は減っていないので夕方までやっている店を教えてもらう。しかし、折角だからとそのもうすぐ閉まる店を教えてもらい若芽うどんと田楽を食べる。見た感じは川沿いにある小さな大衆食堂の様な店だが推薦するだけの店で賞味できて良かった。駅から3分。店名は浜っ子。
丸亀美術館は今の人は知らないと思うが、猪熊弦一郎美術館である。
むしろ、建築としての方が知られている。中央から見れば辺鄙なところにあるが谷口吉生の作品で、最も人気のある美術館建築として有名であった。
谷口が豊田美術館を建てる前、勿論上野の新国立博物館を建てる前の作品である。
後にMOMAの設計者となるとは誰も思いもしなかった時代、初期の作品だ。
私はズット以前に建築を見にそして収蔵作品を見に丸亀美術K館に来ている。

風呂に入り、駅にある非常に品物が豊富で安く清潔なスーパーで予定の買物、味噌、米、お茶その他を購入して帰る。船に戻って4時半。
夕方5時の予報では雨の降り始めが6時ではなく夜9時頃からに変わる。次第に風が強くなりつつある。
それにしてもこのポンツーンは引き波で船の揺れとポンツーンへの押し付けが半端じゃない。
前回もそうであった。

写真:
金刀比羅宮本宮拝殿
・後ろに本殿
・横から本殿を見る
・旭社
・額
善通寺金堂
・御影堂(大師同)
善通寺、楠の巨木
・丸亀美術館