DONのヨット暮らし

Mais ou sont les neiges d'antan?

熱海と言えば金色夜叉

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2012.2.5(日)
私は船を熱海に置いている。
若い方はご存じないかも知れ無いが、熱海と言えば、貫一お宮の金色夜叉なのです。
例の「来年の今月今夜になったらば、私の涙で必ず月は曇らして見せるから。
月がくもったならば、宮(みい)さん、貫一はどこかでお前を恨んで、今夜のように泣いていると思ってくれ」
と言う有名なせりふです。昔の日本人の殆どが知っていました。
私は10年以上熱海に船を置きながら、実は尾崎紅葉のこの有名な金色夜叉を未だ読んでいなかった。
そこで、今ようやく分厚い岩波書店、紅葉全集第七巻を読み始めました。
明治30年発表の文章なので古めかしいが、十分理解でき楽しめます。
私がついでに驚いたのは紅葉と漱石はおないどしなんですね。
どうして、同時代と言うより年齢が同じでともに東京の生まれ育ちで、同じ東京大学に学び、
二人の文章はか様に異なるのか。
漱石が猫を発表したのは明治38年金色夜叉が世にでた8年後だ。
漱石は私が小学生の時に読み始めて何の違和感も感じず、今の文章として読んでいた。
どうして漱石にそんなことが可能だったのだろう。
なお、我が愛惜置かない一葉が世におおつごもりを出したのも明治30年である。

金色夜叉の文中に
行く水に数かくよりもはかなきは思はぬ人を思ふなりけり
の歌あり。
この素晴らしい表現の出典は何かと思えば、伊勢物語古今集にも小野小町の歌とあり。
また、万葉にも行く水に数かくよりもとあり。元々は仏典から出たものとのこと。

尾崎紅葉と言えば、弟子の泉鏡花、女系図も知られている。こちらは高校生の時に読んでいる。
これも「別れろ切れろは芸者の時に言うこと」という有名なせりふで日本人なら皆知っていた。
私は読んだ当時、先生への恩と義理と命令の為、
好きな女と別れるという行為がとても理解出来ず、自分となんと違うのだろうと思ったのを覚えている。
このせりふを吐くのが梅の香漂う、湯島天神の石の急階段です。

私はこの湯島天神、急階段の雰囲気が好きで、良く行きました。
駿河台にある予備校生の頃、人っ子一人いない湯島聖堂(江戸時代の東大)と共に二人で歩いて何度も訪れたっけ。
外人の牧師以外、二人のほか、ひと気の無いニコライ堂もやはり懐かしい思い出だ。

湯島と言えば、EST!は未だあるのだろうか。
会社からは遠いけど、雰囲気のある良い店で、出かけっていった。
確かシングルモルトが基本だったように記憶している。
経営者は今も同じだろうか。雰囲気も変わらずだろうか。

湯島と言えばもう一軒、シンスケだね。
おそらく東京一つまり日本一の飲み屋だ。
意気でいなせで、東京でしかありえない店。
とはいえ、私はビルになってからは行って無い。
今もむかしどおりの店と、もれ聞くが、どの様であろうか。なつかしいな。