久慈の街を一巡り
2015.7.5(日)
3時ごろ外で音。
後の漁船に人か。
少ししてエンジン音。
これは挨拶しておかなくてはとハッチを開ける。
こちらとの距離が極近いので、ボートフックで岸壁を押し、艇の頭を外に向けようとしているところ。
気難しい人だとこまるな。
と、向こうからお早うございますと挨拶。
邪魔になりませんかとこちら。
笑顔で、ゆっくり休んで。
こちらが気にして顔を出したので、ゆっくり寝ていて良いよと言う意味。
有難い。
ヨットに悪い印象は無く、かつ良い人で良かった。
ハッチを閉めもう一度寝る。
コインランドリーが近いので午前中は洗濯。
タオルケットの様な大物その他を洗う。
午後は食材仕入れ。
3時半頃、久慈の街を探索に出る。
地図をプリントアウトし、先ず久慈のまちなか、駅方面を目指す。
港から言うと、町なかは長内川という広い川の向こうになる。
ショッピングタウンを抜け、K'S電気の前を過ぎるとこの辺も又、大きなショッピング街と知る。
ショッピングタウンの中にABCマートの様な店があるのに、靴流通センターや単独の大きな靴販売店がある。
その他、郊外大型店舗がいくつもあるのに驚く。
驚きは長い大きな橋を渡りつつある時も発生。
川を渡った所にガラスの三角の塔が出現。建物も異型。
その前を通る際、その建物から出て来た人に地図を見せ、駅までの道を尋ねる。
かなりの年配の人で、地元の有力者ではないか。
あの建物は黒川紀章の作品と教えてくれる。
あー、如何にも黒川紀章ですね。ああいう驚かす建築物なんですよ。と答える。
丁度駅まで行くので一緒に行きましょうと。
久慈について話をしてくれる。
時間はありますか?とゆっくり何処かで話が始まりそうなので、
遅くなってもこまるので、チョット予定がありますと返事。
町の南北にJRと三陸鉄道が走っており、その右(東)側、
今歩いている所は官庁街。
南北に走る鉄道の西側が久慈の古くからの街となっている。
繁華街も住宅地もここにある。
不思議なことに駅の入口は鉄道の西側にしか無い。地下道をくぐらないと駅に行けない。
これは不便なので、何年後かに改築する計画があるとのこと。
鉄道をくぐって、駅に出てたころで、お礼を言って別れる。
はでな三陸鉄道久慈駅とかなり大きなJR駅が並んでいる。
釜石と同じだ。
三陸鉄道の久慈駅に観光案内所があり資料を貰う。
調べておいた銭湯の場所を聞くが、銭湯の名前では解らず、住所を見せる。
これで場所は解る。あまり観光とは縁の無い銭湯と解る。
ゆっくり、久慈の市街を散策したかったが、時間が遅くなるので、
今回は銭湯への道すがら町を眺める。
大きな魚屋が2軒あった。町はきれいで落ち着いている。
改めて、ゆっくり散策したい。
何回か聞きながらようやっと銭湯、幾久(きく)の湯へ到着。
うーん!これはかなりローカルな銭湯。
今、久慈駅近辺に残る銭湯は3軒。此処が一番港から近い。との情報にとどめる。
風呂を出て、艇に着くまでゆっくり歩いて40分。
3時半に艇を出て、6時20分にもどったので、
風呂に入っている時間をのぞけば、2時間半ぐらい歩き、久慈の街をオオヨソ一巡りしたことになる。
津波について触れれば、港の状態はいままでのどの港より被害が少ない様に見える。
久慈港の岸壁は全て旧のままだ。かさ上げ工事の岸壁は無い。
これは今まで航海して来た港では全てかさ上げされていた。
ただ、以前来た時、異常とも感じた高い防潮堤をさらに高くしていた。
地元の人に聞くと津波は来た。しかもこの高い防潮堤を越えて来たとのこと。
津波は来たが地盤沈下は無かったのだ。
写真:
・三陸鉄道久慈駅
・JR久慈駅
・防潮堤のかさ上げ
・久慈の銭湯、幾久(きく)の湯
3時ごろ外で音。
後の漁船に人か。
少ししてエンジン音。
これは挨拶しておかなくてはとハッチを開ける。
こちらとの距離が極近いので、ボートフックで岸壁を押し、艇の頭を外に向けようとしているところ。
気難しい人だとこまるな。
と、向こうからお早うございますと挨拶。
邪魔になりませんかとこちら。
笑顔で、ゆっくり休んで。
こちらが気にして顔を出したので、ゆっくり寝ていて良いよと言う意味。
有難い。
ヨットに悪い印象は無く、かつ良い人で良かった。
ハッチを閉めもう一度寝る。
コインランドリーが近いので午前中は洗濯。
タオルケットの様な大物その他を洗う。
午後は食材仕入れ。
3時半頃、久慈の街を探索に出る。
地図をプリントアウトし、先ず久慈のまちなか、駅方面を目指す。
港から言うと、町なかは長内川という広い川の向こうになる。
ショッピングタウンを抜け、K'S電気の前を過ぎるとこの辺も又、大きなショッピング街と知る。
ショッピングタウンの中にABCマートの様な店があるのに、靴流通センターや単独の大きな靴販売店がある。
その他、郊外大型店舗がいくつもあるのに驚く。
驚きは長い大きな橋を渡りつつある時も発生。
川を渡った所にガラスの三角の塔が出現。建物も異型。
その前を通る際、その建物から出て来た人に地図を見せ、駅までの道を尋ねる。
かなりの年配の人で、地元の有力者ではないか。
あの建物は黒川紀章の作品と教えてくれる。
あー、如何にも黒川紀章ですね。ああいう驚かす建築物なんですよ。と答える。
丁度駅まで行くので一緒に行きましょうと。
久慈について話をしてくれる。
時間はありますか?とゆっくり何処かで話が始まりそうなので、
遅くなってもこまるので、チョット予定がありますと返事。
町の南北にJRと三陸鉄道が走っており、その右(東)側、
今歩いている所は官庁街。
南北に走る鉄道の西側が久慈の古くからの街となっている。
繁華街も住宅地もここにある。
不思議なことに駅の入口は鉄道の西側にしか無い。地下道をくぐらないと駅に行けない。
これは不便なので、何年後かに改築する計画があるとのこと。
鉄道をくぐって、駅に出てたころで、お礼を言って別れる。
はでな三陸鉄道久慈駅とかなり大きなJR駅が並んでいる。
釜石と同じだ。
三陸鉄道の久慈駅に観光案内所があり資料を貰う。
調べておいた銭湯の場所を聞くが、銭湯の名前では解らず、住所を見せる。
これで場所は解る。あまり観光とは縁の無い銭湯と解る。
ゆっくり、久慈の市街を散策したかったが、時間が遅くなるので、
今回は銭湯への道すがら町を眺める。
大きな魚屋が2軒あった。町はきれいで落ち着いている。
改めて、ゆっくり散策したい。
何回か聞きながらようやっと銭湯、幾久(きく)の湯へ到着。
うーん!これはかなりローカルな銭湯。
今、久慈駅近辺に残る銭湯は3軒。此処が一番港から近い。との情報にとどめる。
風呂を出て、艇に着くまでゆっくり歩いて40分。
3時半に艇を出て、6時20分にもどったので、
風呂に入っている時間をのぞけば、2時間半ぐらい歩き、久慈の街をオオヨソ一巡りしたことになる。
津波について触れれば、港の状態はいままでのどの港より被害が少ない様に見える。
久慈港の岸壁は全て旧のままだ。かさ上げ工事の岸壁は無い。
これは今まで航海して来た港では全てかさ上げされていた。
ただ、以前来た時、異常とも感じた高い防潮堤をさらに高くしていた。
地元の人に聞くと津波は来た。しかもこの高い防潮堤を越えて来たとのこと。
津波は来たが地盤沈下は無かったのだ。
写真:
・三陸鉄道久慈駅
・JR久慈駅
・防潮堤のかさ上げ
・久慈の銭湯、幾久(きく)の湯