10年ぶりに田辺港にやってきました
2016.6.27(月)
10年ぶりに田辺港に入りました。
初めてのロングの時、田辺に入り、次、四国の美しい港、日和佐へと渡りました。
次の年、沖縄からの帰りは、泉大津のブルーシーガル上田さんに教えてもらって、
田辺では無く、白浜綱不知にはいり、以後いつも綱不知を楽しんできました。
でも、田辺は実に大きな町で歴史があり、文化のある町で再度訪れたかったのです。
着ける場所は、川村さんが2艇だけどすごく良い場所があると言ってました。
綱不知の主、三川さんと電話で話した時、川村さんはパチンコ屋の駐車場の前に留めているとのこと。
あすこだろうと検討をつけていた場所はズラーと空いている。
パチンコ屋も駐車場もない。ここではないな。
そこで、結局10年前留めたのと同じところにスターンアンカー、槍着け。10年まえと同じ。
スーパーコンピュータ予報では夜中、南西の強風になる予報。船を南に立てたかった為もある。
移動するように言われる可能性あり。着岸9時50分。なにせ綱不知から7マイルですからね。
モット早く着くはずだったけど、出る前に水を補給しようとすると、ビルジに水。
一つの20Lポリタンの水が殆どなくなっている。穴が空いたのか。
原因は不明だが何しろバケツに移し、掃除をしたりで少し出港予定が遅くなってしまった。
大、小、全く、何が起こるかわからないですね。
えー、やっぱり来ました。外に声、顔を出すと、給油担当のお兄ちゃんが、ここは給油場所なので移動して欲しい。丁寧。
留められる所を聞くために自分の携帯で漁協担当者に電話してくれる。
指示されたのは、最初に見た、ズーと空いている外岸壁。
直ぐ移動。南には立てることが出来るが、西が吹くと岸壁に寄せられる。
アンカーを打って、一旦槍着け。次に横着けに直す。アンカーはケッジアンカーとする。
岸壁との隙間を作る。
舫いを固めたので、先ず近辺をチェック。
この岸壁は悪く無い。生活に便利と解る。
5分にダイエー系大型店舗、グルメシティがあり、その前に中規模のスーパーもある。
酒や食品も置いてる大型ドラッグストアーが6分。ファミマも7分ぐらいにある。
一旦艇に戻り、田辺散策へ出発。大橋を渡って、駅まで行ってみる。
以前来た時のことはすっかり忘れてしまったが、歩いていると此処へ来たナーと思い出す。
風呂屋発見。
大きな町。きれい。規模が大きい。飲み屋街もある。誰が飲むのかね。
駅のとなりが大きな観光案内建物。地図その他資料、バス時刻表などをもらう。
帰り、泊地の近くの公園、洋式トイレ確認。
潮垢離浜跡(しおごりはまあと):
この公園には潮垢離浜跡の碑があります。
説明板に熊野路のちょうど中ほど、田辺で大辺路と中辺路に分かれており、
参拝者の多くは、海岸線に別れを告げ、中辺路を辿るため、口熊野の田辺で最後の潮垢離をとっていました。
昔は神仏にお参りする際、しばしば全身に水を浴び、身を清めることをしました。
これを「垢離(こり)を取る(掻く)」といっていました。
建仁元年(1201)の御幸記では後鳥羽院に同行した藤原定家が体調を崩し、
潮垢離を辞退したところ、厳しく叱責され、やむなく潮浴びをしたと書いている。
未だ行って無いが、近くの出立王子跡(でだちおうじあと)でも同様の説明があるようだ。
水は漁協でもらえるだろう。生活の基本はほぼ確認できた。
グルメシティと中型スーパー、近くの生鮮屋で食材を仕入れ艇に戻る。
艇に着く17時ごろパラパラ小雨。18時から雨の予報だったが、少し早目に降りだす。あと本降り。
今、本降り中。20時。
写真:
・10年ぶりの田辺を喜ぶECHO POINT
・ケッジアンカーを打つ
・外岸壁に移動。岸壁から離れているでしょ。
・JR田辺駅
・潮垢離浜跡碑
10年ぶりに田辺港に入りました。
初めてのロングの時、田辺に入り、次、四国の美しい港、日和佐へと渡りました。
次の年、沖縄からの帰りは、泉大津のブルーシーガル上田さんに教えてもらって、
田辺では無く、白浜綱不知にはいり、以後いつも綱不知を楽しんできました。
でも、田辺は実に大きな町で歴史があり、文化のある町で再度訪れたかったのです。
着ける場所は、川村さんが2艇だけどすごく良い場所があると言ってました。
綱不知の主、三川さんと電話で話した時、川村さんはパチンコ屋の駐車場の前に留めているとのこと。
あすこだろうと検討をつけていた場所はズラーと空いている。
パチンコ屋も駐車場もない。ここではないな。
そこで、結局10年前留めたのと同じところにスターンアンカー、槍着け。10年まえと同じ。
スーパーコンピュータ予報では夜中、南西の強風になる予報。船を南に立てたかった為もある。
移動するように言われる可能性あり。着岸9時50分。なにせ綱不知から7マイルですからね。
モット早く着くはずだったけど、出る前に水を補給しようとすると、ビルジに水。
一つの20Lポリタンの水が殆どなくなっている。穴が空いたのか。
原因は不明だが何しろバケツに移し、掃除をしたりで少し出港予定が遅くなってしまった。
大、小、全く、何が起こるかわからないですね。
えー、やっぱり来ました。外に声、顔を出すと、給油担当のお兄ちゃんが、ここは給油場所なので移動して欲しい。丁寧。
留められる所を聞くために自分の携帯で漁協担当者に電話してくれる。
指示されたのは、最初に見た、ズーと空いている外岸壁。
直ぐ移動。南には立てることが出来るが、西が吹くと岸壁に寄せられる。
アンカーを打って、一旦槍着け。次に横着けに直す。アンカーはケッジアンカーとする。
岸壁との隙間を作る。
舫いを固めたので、先ず近辺をチェック。
この岸壁は悪く無い。生活に便利と解る。
5分にダイエー系大型店舗、グルメシティがあり、その前に中規模のスーパーもある。
酒や食品も置いてる大型ドラッグストアーが6分。ファミマも7分ぐらいにある。
一旦艇に戻り、田辺散策へ出発。大橋を渡って、駅まで行ってみる。
以前来た時のことはすっかり忘れてしまったが、歩いていると此処へ来たナーと思い出す。
風呂屋発見。
大きな町。きれい。規模が大きい。飲み屋街もある。誰が飲むのかね。
駅のとなりが大きな観光案内建物。地図その他資料、バス時刻表などをもらう。
帰り、泊地の近くの公園、洋式トイレ確認。
潮垢離浜跡(しおごりはまあと):
この公園には潮垢離浜跡の碑があります。
説明板に熊野路のちょうど中ほど、田辺で大辺路と中辺路に分かれており、
参拝者の多くは、海岸線に別れを告げ、中辺路を辿るため、口熊野の田辺で最後の潮垢離をとっていました。
昔は神仏にお参りする際、しばしば全身に水を浴び、身を清めることをしました。
これを「垢離(こり)を取る(掻く)」といっていました。
建仁元年(1201)の御幸記では後鳥羽院に同行した藤原定家が体調を崩し、
潮垢離を辞退したところ、厳しく叱責され、やむなく潮浴びをしたと書いている。
未だ行って無いが、近くの出立王子跡(でだちおうじあと)でも同様の説明があるようだ。
水は漁協でもらえるだろう。生活の基本はほぼ確認できた。
グルメシティと中型スーパー、近くの生鮮屋で食材を仕入れ艇に戻る。
艇に着く17時ごろパラパラ小雨。18時から雨の予報だったが、少し早目に降りだす。あと本降り。
今、本降り中。20時。
写真:
・10年ぶりの田辺を喜ぶECHO POINT
・ケッジアンカーを打つ
・外岸壁に移動。岸壁から離れているでしょ。
・JR田辺駅
・潮垢離浜跡碑