DONのヨット暮らし

Mais ou sont les neiges d'antan?

始めて尾鷲港にやって来ました

2019.9.26(木)

始めて尾鷲港にやって来ました。

尾鷲港は初めてですが、尾鷲湾には13年前に来ています。

尾鷲湾に入り、何処に船を入れるか。

私は尾鷲港では無く、尾鷲湾に入って右(北)にある引本港に入った。

これは、当時、尾鷲港を遠目にみると町全体が工場街に見えた。

火力発電所の諸々の施設で埋め尽くされている様に見えたことが理由の一つ。

しかし、引本を選んだ積極的理由が二つあった。

一つは、野本さんがKAZIに掲載した「奥志摩、熊野巡行案内1995 8月」による。

引本港に桟橋を備えた民宿ふみがあることを知った。

それと、もう一つ野本さんの記事の左側に引本港の奥、矢口浦に舫う森を背景にたたずむヨットの写真に強く引きつけられのだ。

引本港「ふみ」の桟橋に船を着け、1泊しました。

料理も含め快適でした。

良い選択をしました。

奥の矢口浦にも行ってみました。台風避難も出来そうな静かな所でした。

ヨットで引本港、矢口浦を訪ねる

泊地情報:引本港矢口浦

 

13年前はこの様な行動をとりましたが、大好きな九木に度々寄る内、食材仕入れも兼ね、電車で尾鷲を見にいくことになりました。

来てみてビックリ、工場地帯に見えたのは火力発電所に施設だけ。立派な住宅街と解りました。

そこで、いつかこの有名な港、尾鷲港にヨットで寄港しなけりゃと長いこと思っていたわけ。

今回、ようやっと実現しました。

 

昼を艇内で取り、おおまかに市内を歩いてみました。

雨が時々降り、傘持参。

 

食材仕入れの大型スーパー、主婦の友が2件、JR尾鷲駅の向こう側にはイオンもあり、3件の違いをチェック。

 

尾鷲は何で発展した街なのでしょう。

かなり裕福であったと思われる住宅が多数残っています。

飛び切り、豪壮と言って良い邸宅、広い敷地、倉が幾つもあり、日本住宅に加え、西洋館の立派で大きな家を持った屋敷に遭遇。

いったい何を商いとしてこの様な豪壮な建物と広い敷地を得ることが出来たのか。たまたま道に出ていた近所の人に聞いてみました。

なんと、林材業、山持でした。

尾鷲から見える山は殆どこの家の持ち物だそうです。

地方に行って、最大の資産家はいつも山持です。

今は日本の材木は売れませんが、資産家としてはやはり山持が一番です。

引本港でも他と全く異なる豊かさを見せている山持の資産家をみました。

 

ひとわたり町を散策し、食材を仕入れ16時ごろ艇に戻る。

雨が断続的に降り、すぐ暗くなってしまう。

作ってあるおかずに少し魚料理を加え、早めの夕食として、尾鷲の初日が過ぎる。

 

航海:

九木→尾鷲港9.3マイル(17km)

九木には改めてユックリ寄港しよう。今回は1泊のみ。

メインを港内で揚げ、次の目的地尾鷲は近いので出港は8時10分。

波も無く、風も弱いがきのうと同じく短いローリングとピッチング。風は又、真登り。

九木を出てすぐ、小雨が降り出す。急いで軽いカッパを羽織る。雨が続くようなので下もカッパを履き、一応ヘンリーロイドも準備しておく。

結局、降ったり止んだりで尾鷲港まで雨の天気の航海であった。

尾鷲港の狭い入り口は赤灯台を右に見て入る。

左の白灯台は遠くからは一文字の先端にある様に見える。

灯台は遠くから見える。白灯台は見えにくい。

両者を確認して間を抜ける。

 

着ける桟橋はこちらに向かって出っ張っているので、

桟橋が確認できない。

目印は海側から見えている赤い大きなENEOSの看板。これが遠くから良く見える。

近づくと桟橋がこちら側に出っ張っているのが確認できる。

海から見て、桟橋左側の根本に横付けする。

桟橋右側には海上保安庁の船が着けるらしいが空いていた。

 

桟橋は本船用なので大きなビット。

ビットの間、岸壁にステンの輪あり。

引き潮の時は登れないくらい高い岸壁なので注意。

仮舫い10時15分完了。

 

夕方、暗くなる頃、前に残りの岸壁いっぱいに大型船が着岸。

特に何も言われなかった。

 

 

f:id:donsaigoublo:20190926114814j:plain

写真:

・尾鷲港に舫い珍し気に回りを見まわすECHO POINT