DONのヨット暮らし

Mais ou sont les neiges d'antan?

志津川港にやってきました

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2015.6.15(月)
志津川港と言っても殆どの人は知らないと思います。
6年前に来た時、ヨットが来るのは2~3年に1辺だと言われました。
私も小さくひなびた漁村だと思って寄ったら、
倉が4つか5つある豪邸や庄屋屋敷も残っている文化的な街でした。
ただ、皆さんは港の名前では無く、テレビから流れる町名でさんざん聞かされています。
志津川港、ここは南三陸町
これから上陸します。13時。

朝起きると濃い霧。
濃霧注意報。青空も見えるので出港。
女川港内でセイルアップ。赤ブイを6時45分通過。
志津川港は入るのが難しい。緊張してスタート。
信じられない程の多量かつ多種の魚網が張り巡らされている。
6年前のトラックを元に設定した計画航路を進む。
東北大震災で魚網の位置なども変わっているだろう。
第一、港に入れるかさえ不明だ。
慎重に水面を見ながら進む。
いたるところに、餌付けのものと思われる旗が立っている。当たりそうな場合は避ける。
航路左右に魚網が延々と続く。
しかし、計画航路で一応クリアーしている。
港の手前で左右に黒く低い防波堤の様なものが複数見える。
震災を機会に設置された防波堤かと思いながら近づくと、
ナントこれも魚網。黒い網で立体的に作られている。初めてみるものだ。
防波堤は全て新しい。
昔、艇を着けた漁協前を目指す。
屋根付きの建物がある。
しかし、工事の機械、機材等が積み上がっている。その背後は一面の荒野。
工事関係者以外は留められそうもない。土ほこりも多量に被る。
ゆっくり、港の中を巡り、小型艇が数珠つなぎになっている岸壁を細かく見る。
間が空いており、後のブイも無い場所を1箇所発見。
水深は10m程度と深く無い。
アンカーを打ち、槍付。
1艇帰ったきた船に聞くと、着けて問題無いとのこと。
もやいを取って、11時半。
どうにか入る事が出来た。

食材仕入れはテントの裏に1箇所、簡単なものだけ売ったいる店がある。
遠いがコンビニもあるとのこと。
テント裏に先ず行ってみる。これはいかにも被災地に臨時店舗で、食品とアルコールが若干あるのみ。
店主の女性に色々押してもらう。
女川より初期段階の工事の様子。
道が無い。道が途中で閉ざされていていけない。
聞いた話と貰った地図を頼りにダンプと大型機材の土ぼこりの中を進む。
13時に出発して艇に戻ったのは17時、30分ほど雨宿りがあったが、4時間近く歩き続けることとなった。
進む道がこれしか無いだよな。山をひと山越えました。

天候不安定と予報で言っていたので、出発前にレーダーを見る。
仙台あたりに赤。此処までは遠いから大丈夫だろうと、
寝袋、毛布、ズボン4着。枕まで。雷と猛烈な雨でしっかり濡れてしまう。
艇に戻ってすぐ、ヒョウまでふる。どしゃ降りの雨も止んだかと思うと、3度ほどくり返す。
呑気にしていられない午後であった。

写真:
志津川港東側、小型艇用岸壁に舫うECHO POINT
 後を見て下さい。現地はこんな状況です。