DONのヨット暮らし

Mais ou sont les neiges d'antan?

牛窓点描

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2016.8.2(火)
朝から日が当たっている。最高気温34度の予報。
食事も済まし、ゆっくりしているところ。7時半。

皆さん、朝鮮通信使って知ってました?
学校で習わないので私も知りませんでした。
室町時代から始まっていたのですが、江戸時代12回、朝鮮から使節団が来ています。
その規模が約500人近い集団だったそうです。
色々な意義があったでしょうが、大陸からの文化の吸収に大きな効果があったと思われます。
その使節団は瀬戸内海を通って行きました。
瀬戸内海を考える時、朝鮮通信使は重要な意味を持つ。
その大量の使節団の最高幹部は正使・副使・書状官の3使です。
500人という大集団の外国使節牛窓に4回来たとのことです。
その際の正使・副使・書状官の3使の接待が牛窓の本蓮寺でした。
牛窓に入ると緑の山の上に五重塔の様なのが見えます(実際は三重の塔ですが)
この寺院の本堂と門は国の重要文化財、1492年建設という歴史を持っています。
海を見渡す高台に建つ静寂な空間です。
歴史の変遷に思いを馳せ、本蓮寺を是非訪れてみてください。
なにも理由は無く、気持ちが良いです。

牛窓岡山藩から商業地として認可されたので、瀬戸内海の流通を握り、
流通に基づく大規模の商家がいくつも出現しました。
その名残をとどめる、家や家並みが未だ、残っています。
この家並み散策も楽しいものです。

また、牛窓の家々を眺めながらあるくと、家の入り口に大きな、意味の有りそうな額というか張り紙があります。
これは一体なんだろうと思っていたのですが、今日、散策の途中で観光客お休み所で説明を読むことが出来ました。
岡山藩主初代が熊沢蕃山を指導者として藩内の宗教統制を行った際の名残。
牛窓では神社は今の牛窓神社、寺は本蓮寺のみが認められ、他は破壊、合祀されました。
宗教に関してなので大変な混乱が生じました。
そこで、仏教会から幕府に状況報告し、懸念を示しました。
その結果、幕府から岡山藩に調査団が派遣されることになりました。
それに基づき、牛窓では幕府はチャント仏教徒でないと、処罰されるとの噂が広まりました。
その結果、各家々は私の家は確かに仏教徒ですと入り口の上に大書した額を貼りました。
それが今も続いていると、きれいな毛筆で説明されていました。

牛窓というと牛窓ヨットハーバーにヨットは集結しています。
ホテルの前とヤマハのマリーナにも少しいます。
それ以外に牛窓へ出入りする時の急流(今回、7ノットを越えました)牛窓瀬戸の横、
草木造船の前にかなりのヨットが係留されています。
これは何処が管理しているのかなー。上架そのたメンテを安くできそうだなー。

私は牛窓をこよなく愛しています。
歴史的な経過で雰囲気ある港というだけでなく、
土地の力として優れたところです。
文化を感じさせます。町が清潔です。歩いていて気持ちが良い。
チョット寄るだけでなく、町の散策をお勧めします。

今日は、農協の販売店でスイカ1個を買い、またいっぺんに食べてしまいました。
船内温度37度と危険なので、直射日光が暑いが、船内よりは風があるので、
再度牛窓街めぐりをしました。

写真:
・山の緑の上に覗く、本蓮寺の三重の塔
・山門、国の重要文化財。1492年建設
・本堂、国の重要文化財。1492年建設
・かっての瀬戸内海流通の栄華を示す豪邸
・門にかかげられる仏教宣言
・こんな場所にヨットが